2014年2月18日火曜日

ひとつ言えることといえば。






これほどまでにキーボードを打つ手が進まないということはありませんでした。
意識の海のなかからどれか、細い糸をたぐり寄せるようにトピックを探しても
どれもふさわしくないような気がして、どれもそぐわないような気がして。
そんなことなら書かなきゃいいのかもしれないけれど、それは違う、と。



自分のアイデンティティがどこにあるのかを、強く思い知らされています。
多くの愛すべき人が住まう、愛すべき土地とはどこなのかを。




ひとまず僕が東京にいて、なにごともなく日常を過ごせているという事実を
母は喜んでくれているようです。
実家は雪による損壊もなく、僕を除く家族三人がなんとか食べれるような食料もあり、
甲府市内に位置するということで雪による混乱の程度も低く、
だからこんな状況でも「こっちは大丈夫だからねー」と言ってくれています。



昨夜、小学校時代からの友人から突然電話がありました。
東京からこの雪による自体を知って「モヤモヤしてるんだ」と。
山野が発信する情報で、結構助けられているよと言ってくれた別の友達もいます。
彼は出張で長らく山梨へ戻れなかったようです。



山梨に愛情を感じながらも、この瞬間山梨にいられない多くの友人たちが
大きく小さく、その心を痛めているようすがSNSを通して伝わってきます。
東京では平然といつもの毎日が過ぎています。
仕事にいったり、好きなものを食べたり、映画だってみれるし、寒さに震えることもありません。
でもその裏で、多くの人が暖かい日常を送れないでいる事実を知っています。



ネットがあることによって離れている地の状態を情報として知ることが出来ます。
けれど、知ることが出来るのは情報のみだ、というジレンマもあります。
実状を体感体験することはどうしたってできない。
知るからこそ感じる無力感や疎外感があるということも、僕ははじめて理解しました。



ひとついえることは、どんなときも僕は、山梨が大好きだということです。



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