2014年2月21日金曜日

【映画感想】その男、凶暴につき





その男、凶暴につき
監督 北野武 
脚本 野沢尚 
出演 ビートたけし  
   白龍 
   井上麻衣子 
   佐野史郎





僕ね、バイオレンス映画って好きじゃないんです。
暴力の描写とか血のりベタベタな映像とか、あんまり好きじゃない。
ゴットファーザーの馬の首とかも「ひえええぇぇぇぇぇ……」って感じだし。

けれど、北野作品がどうしても見たくて、それでバイオレンスも見るようにしたんです。
じつを言えば、北野武監督の作品は「アウトレイジ」とこの「その男、凶暴につき」しか
全編通して見ていないんですけどね。



 お腹の底がぶるぶる震えながら、痛そうなシーンとかを見ていました。
ちょっと吐き気とかもしてくるぐらいに辛いんだけど、不思議と目はそらさずに見られた。
自分の意識のなかで「これはフィクションだ」という命綱を十分すぎるほど握りしめていたのもありますが、
アウトレイジにも共通して感じたけれど、
北野武の描く暴力は「暴力って怖いんだ」という先入観を取り除くと、
ごくごく自然なことの成り行きのように目に映るようになるという特質があるからだと思います。
しかも、「暴力は怖い」の先入観を取り除いたとしても、作り物にはならない。
この微妙且つ絶妙なラインを守っているバランス感覚、なんなんでしょうか。



僕は世代として、ツービートの「エロ・グロ・差別用語」満載の残酷ギャグを知りません。
ツービートの漫才を見たことがないです。
漫才ブーム後のパーソナリティ黄金時代も知らない。
記憶にあるのは、「スーパージョッキー」と「元気が出るテレビ」ぐらい。




まずグッとくるのは、題名。
「その男、凶暴につき」なんてカッコいい題名、どうやって考えつくのでしょうか。
我妻という刑事の凶暴さを肯定も否定もしない。
凶暴につき(取扱注意)とか、凶暴につき(悪を倒す)とか、野暮なことは言わない。
「その男、凶暴につき」というところでスパッと意味が切れている。
余韻も伏線も無い。
「〜につき」で唐突に終わっちゃうぐらい凶暴なのがわかる。


我妻という人物が人を殴り、犯人を車でひき、拳銃をぶっ放すのは、
それが自然だからなんだろうな、という感じを持ちます。
正義のためとかじゃない。自己満足自己実現のためでもない。
そうするのが自然なんだ。そういうやり方が彼の性質なんだと思わされます。
我妻は何の主張もせず、正義や善を微塵も語らず、混沌とした都市を闊歩し、
獲物をただ追いつめていく。あるいは自ら生き延びるために敵に噛み付く。
多くは語らないし、意図的に語らせてないんだと思います。


この映画の存在や意義を語るのはむしろ、カット割りやカメラワークの方。
そして第三の男のツィター的な音響のテーマ曲。
セリフによる情報が極限まで少ないことによって、
観客の想像力は否応無くそこにある映像や効果音から「最悪の事態」を見出します。
次の瞬間に目の前に血しぶきが広がる光景を、僕の脳みそだけが画面上に見ます。
これが、怖い。



もしかしたら話芸というものが、そういうことなのかもしれません。
実在しない映像を客に見させるのが話芸の技術でしょう。落語も漫才も。
それを映画にしてみたら、こうなった、そんなかんじじゃないでしょうか。







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