2014年2月28日金曜日

タイピングという肉体運動が上達してきたと感じる、という話






最近タイピングのスピードが上がってきました。
厳密に計ってないからどれくらいなのかはわからないですけど。
書くテーマが明確で、文脈が端から流れ出てくるような状況だと、
ほとんどノンストップでキーボードを叩き続けています。

タイピングのスピードっていうか、執筆のスピードなのかな?
上手くいけば3000字アップの分量を30分でかきあげることもできたりします。
いや、けっこう驚異的ですよこれ。
本当に自分が元気な状態で、ネット環境とか落ち着ける状況とかも整っていて、
なによりアドレナリンが出るくらい前のめりでかけちゃうテーマが手元にある時だけですけど。




その分誤字脱字とか奇妙な言い回しが増えたりもしてますけど、
その辺は校訂して指摘してくれる友人がいるので本当に有り難く思っています。
僕はとりあえず全速力で文章を出力するだけってかんじです。




こうやって毎日文章を書いていって、めざすべきところはどこなのかなーなんて考えたりします。
むかしは、小説を書いてみたいなーとか、死ぬまでに一本は戯曲を書こうとか思っていました。
もちろんいまでもそれを目指す気持ちはなくなっていないですけれど、
人間生きていればひとつくらいは小説書けると思うし、そこは最終目標ではないなーと。

毎日コンスタントにアウトプットしなければならないと思うと、
同時にコンスタントなインプットも続けていかないとなりません。
この緊張感は僕にとってよく働いている気がします。
インプットだけではなく、そこで取り入れた情報が自分のなかでどんな化学変化を起こすのかを
しっかりと吟味し思考を巡らせるという営みも必要になってきます。
人間、どうにも楽したい生き物だと思うので、新しい情報を能動的に欲していくとか
それを元に自分について考えをめぐらせるとかいう面倒くさいことは
よほど意識のアンテナを高く設定していないと後回しにしてしまいがちですよね。
そういう状況を避けるためにも、こうやって書くと言う作業は有益な気がしています。




だって、毎日書くという必要に迫られなければ、いろいろ本を読んだりしませんもの。
そう思うと、文系の研究者が本をたくさん読むのは、もちろん本が好きだという性質もあるでしょうが、
論文を書くための資料として読書によるインプットが必要不可欠だということによるのでしょうね。
合点がつきました。




なにかの時に人にお会いするとして、
「山野さんのブログ読んでますよー、楽しみにしています」
と仰っていただけることが増えてきました。
3ヶ月弱続けただけでこんな変化があるんですから、5年も続けてみたらだいぶ面白いことになるんだろうな。
いや、なるかどうかはわからないけれど、面白いことになったらいいなーと思っています。





なんにせよ、徐々にコンテンツが増えてきたということはいいことだなと感じています。
書いてみたいけれどうまく文章化できないトピックがいくつもあるので、
おそらく文を書くことが徐々に上達していくにつれ、そういった題材も登場してくることでしょう。


音楽家は音で主張をすべきであって、という考え方も確かにありますけれど、
もともと音楽家は同時に神学者や哲学者であったはずなので、
世の中のあらゆる事象に対して考察を重ね、それを自分のなかに思考として汲み置いておく作業は
僕の音楽にとって、とてもいい影響を与えるはずだし、
それを文章と言うかたちで外に出していく作業も、言葉を用いて世界にコミットすると言う意味で
無駄ではないだろうなと考えています。
それに、文を書きながらうまいこと自分のなかからセンテンスが流れ出てくるような状態って
本当に気持ちの良いことだし、この快感の体験は演奏力の向上にいかせる要素だと感じています。




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