2014年2月27日木曜日

子供にはまず考える力を養わせよう、という話






数日前のちきりんさんのブログ記事が面白かったのでそれにインスパイアされて。


下から7割の人のための理科&算数教育 
Chikirinの日記 
http://p.tl/oVi1



要約すると、

「“技術立国のためには科学教育が大事”なのであれば、6・3・3の間で全員に最低限の科学教育をするのではなく、早い段階で優秀者や興味のある子供だけにより専門性の高い教育を提供するべきだ。理科&算数は『生活に必要最低限』と『より高度な学術的教育』を7:3ぐらいで展開した方がいい。」

と言う話です。



この論、僕はとっても面白く読みました。
概ね共感しますし、それでいいよなーとも思います。
より専門的な教育を選択する以外の子供には、「生活するために必要な科学知識」を与える、
と言うところが面白いです。
たとえば

  • リボ払いを選んだ場合の利子の額
  • 大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
なんかがあげられています。




7に行くのか3に行くのかを誰が選ぶのか、が問題だ


いや、ちきりんさんのこの記事は極論かもしれないけれどとても合理的で、
こういう「ニーズに則した教育」みたいなものが教育論の根底になっていくと
非常にいいなーと僕は思うのです。
従来の教育課程は、もちろんさまざまな優秀な方の熟考を経て形成された
とても尊い指針であると言うことは十二分に理解できているんですけど、
学問という無限探求の入り口にも立てないし、実生活に直結する知恵も身につけづらいし、
というぼんやりしたものであるという印象はぬぐい去れません。

その点、学問への挑戦という側面と、実生活のレベルで役に立つ知識の側面と、
早い段階で分離してしまって、高次元の問題に無関心な子供は
ドロップアウトというかたちではなく、科学的思考や数学的思考を
実生活に結びつけて体得できる、ということは非常にいいことではないですかね。


ただ、問題はあって、その子供(児童や生徒)が、
果たして“7の側(実生活レベルの活用問題)”にいくのか
はたまた“3の側(学問レベルに直結する授業)”にいくのかを
いったい誰が決めるのでしょうか。


親や教師が選別する、となるとまた難しい問題が生じてきそうですよね。

僕としては、小学生も2・3年になれば、自分の好みを自分で決められるとは思っていますが、
なかなかその辺懐疑的な見方も多いと思います。
というか、子供が適切な判断を下せるはずがないと考える大人が、大半だと思います。正直。

かといって、親の見立てや先生の判断が正しいかどうかもわからない。
本人以外の裁量で、才能を潰すことに繋がるかもしれないし
ひとりの人格を苦しませることになるかもしれない。
そうすると、子供(児童・生徒)の人生に保護者的立場の人間が
どの程度干渉が許されるのか、みたいな話になってきますね。

とはいえ、僕は、原則的に「当人の人生の選択は当人がするべきだ」と考えています。


子供は適切な判断ができないと考えていることが大人の大きな間違いだ



たとえば、理数教育をある時点で
「生活に則した知識を見につける」と「より学問的な領域を目指す」とにコース分けしたとして、
それのどちらに進むかを子供自身に決めさせるとして、
日本の現状で出てくる世論はほとんどがそれについて反対だと思います。

その理由の多くは
「子供は将来を左右するような場面で正しい選択ができるはずがない」
というものでしょう。

続く言葉は「だから大人が選んであげるべきだ」でしょう。


いやー、勘違いもはなはだしい。
合理的な判断を下せない大人がどれだけいることか、考えてみましょうよ。
世の中にはびこる非合理な大人の数に思いを馳せてみましょうよ。


子供は合理的な判断を下せるはずがない→大人がかわりに選んであげよう
という思考は、大人は完全であり子供は不完全だという思想に裏付けれたものです。

けれどじっさいは、不完全な大人だっているし、完全な子供だっています。

そして、いちばん大切な事実は
不完全な大人を完全な大人に変えることは非常に難しい(か困難)ですが、
不完全な子供を完全な大人に変えることは不可能ではないということです。



ちきりんさんの極論は、僕は合理的だと思う。
けれど、子供の選択の合理性に(現段階では)不安がある。
では、どうしたらいいか。


もっとも必要なのは、そこで大人がしゃしゃり出て子供の行く末を決めることではなく
「子供自身が自分や自分の将来に対して合理的な判断が下せるような能力を身につける教育をする」ことではないでしょうか。


考えさせる教育が必要だ


5歳児が自分の人生を考えたっていいのです。
というか、自分が5歳児だったとき、少なからず誰しも人生について考えていたはずです。
大人になったいま忘れているだけで。
「子供は無邪気で考え無しな存在だ」というバイアスにみんな目くらましされているだけで。


ただ何もせずに子供を育てても、もちろん合理的に考えられるようにはならないでしょう。
ならば、初等教育から、あるいはもっと以前から、
子供が自分や自分自身の人生について思考し、合理的な判断を下せるようにするための教育を整備し、
それを与えればいいのではないでしょうか。
僕たちはしばしば、子供を見くびりすぎます。


とはいえ、性格や能力にはそれぞれ個性がありますから、
考えさせる教育を施したところで、考えられるようになる子ばかりではないはず。
でも、それはそれでいいではないですか。

本当は考えられる能力を持つ子供が、考える術を知らずになにか大切な選択を誤ってしまうことは、大いなる損失です。

考えることを促す教育をすることで、その損失が生ずるリスクを回避できます。
これこそ合理的思考。


ぬるーく教科書で道徳とか教えてないで、世の中を、人生を考える術を、
ずばり哲学を教えてみたほうがいいと思うんですけれどね。





0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...