2014年2月20日木曜日

自分の平凡さを受け入れて人を頼ることを習得したい、という話






自分が本当に困っている時に「助けて」といえることって、
じつはものすごくマッチョなことなんだと思うんです。


困っている原因によるというのもあるかと思いますけど、
基本的に動物は自分の弱っていることを隠そうとする性質がありますよね。
怪我をしていることを捕食者に見破られると、餌食になりますから。
精神的な構造としても、そういう防衛本能があるような気がするんです。
だから、それを乗り越えて自分の弱さを相手に見せられるって、すごく強いことですよね。

あと、自己防衛という意味じゃなくても
「現状の僕では解決策が見つからないです困ってます」とか人に言うのって
恥ずかしい感じしませんか?
僕はけっこう恥ずかしく思っちゃうタイプです。
人に助けを求めることを「恥ずかしい」と感じる方、意外と多いんじゃないかな。
自分が困っている原因が、自分のせいではなくて
外的要因によるものであっても同じようなことってあると思います。


「自分だったら乗り越えられる」と思うからこそ助けを求めないということもありますね。
その判断が冷静に自分の力量をはかった上で導きだされたものならいいんですけど、
なんていうのか、日本人的ガッツ(?)で無根拠な「私ならできる」を信じてしまって
ダークサイドに落ちていく…という光景を何度か見たことあります。
僕も落ちそうになったことあります。



どんな状況でも、「助けて」と言葉が出る瞬間、その人の心の中に負い目が無いというのは
非常に稀な状況では無いでしょうか。
とくに、「自分は生来の凡人である」事実を受け止められていない人だったらなおさら。

僕も、稽古の場とかでいっぱいいっぱいになっちゃって自分では解決できない
歌唱的・演技的な問題でも、なんかしらない全能感がタイミング悪く顔出してきて
「考えれば僕にはできる」とか思っちゃって、意図的に外界とのコミュニケーションを
断ってしまうこと、未だにけっこうありますもの。




どこまでできてどこからできないのか、と自分の能力をちゃんと把握できると、
「自分では処理できない問題」について非常にポジティブに対応できるのではないかなと思います。
そうすると結果的に「助けて」とか「アイディアを下さい」とか、
人を頼れるようになって自分の力以上の仕事をこなせたりするんですよね。



全能感で騙し騙し物事を進めていって、
結果も騙し騙し「失敗じゃないところ」へ落ち着けることの天才、みたいな人もいますけれど、
僕はそうはなりたくないなー。



なるべく気をつけて、「助けてください」「知恵を貸してください」と
本当に困った時にはナチュラルに人を頼れるようになりたいなーと思っています。




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