2014年1月2日木曜日

かたち変われど新年を祝う心は変わらじ、という話






年賀状を毎年書こう書こうと思っているのですが、
筆不精が燻って今回も書かずじまいでした。



近年になって、新年の挨拶をSNSや LINEでするという方が増えていますよね。
それに伴って年賀状を書くことをやめた、という人の話もちらほら聞きます。
特に、ネット業界の方が多いように思います。

一昨年ぐらいまでは携帯やパソコンでのメールにて
たくさんの方が新年の挨拶をしていたように思います。
僕も例に洩れずでした。中学の頃はせっせと「あけおめメール」をデコレーションしてましたもの。
思えばその頃から年賀状を書くのをやめたんだな。



時代の変化に合わせて挨拶の方法が変わっていくことは
歴史を振り返ってもごく自然な出来事だと思います。

もちろん僕自身、年賀状の持つ趣や情緒の貴重さはよく知っていますし
日本のお正月の風景としてとても大切な文化だと思います。
ただ、そういった理由だけを背景にした
「メールやSNSだけの挨拶なんてけしからん、年賀状は必ず書くべきだ」の主張は
ちょっと安直すぎるなーと思っています。






年賀状が印刷で作られるようになったのはいつからなのでしょうか。
プリントゴッコの発売以降でしょうかね。発売が1977年なので(以外と昔だった!)
とすると1980年代から頻繁にみられるようになったのではないでしょうか。
僕がまだ生まれる前なので推測するしかないですが、その頃にもおそらく
「年賀状は手書きにするべき」という批判は世論としてあったのではないでしょうか。

サインペンや筆ペンが普及したときにも、
「年賀状は墨を刷って毛筆で書くべし」と言われたでしょうし、
宛名印刷が家庭用プリンタでできるようになった今でも
「宛名ぐらいは手書きをするべき」という話は飽きるくらいに聞きますよね。


ちょっと調べてみると、奈良時代には新年の挨拶をする行事があり、
平安時代には遠方への年始回りの代用として文書による挨拶が広まったそうです。
近世以降高等での挨拶の代わりに簡易文書による挨拶が普及した様子。
おそらく当時でも「年始の挨拶は文書ではなく口頭でなければけしからん」
という批判もあったことでしょう。



時代が変われば文化も変わります。
古くから守られてきた「心」は、民族として保存・継承していくベきと思いますが、
「形式」はテクノロジーや生活様式の変化に伴って変わっていくものです。
そして、「形式」が変わるということは、そこに籠められた「心」の伝わり方も
変わることに繋がります。しかし、これはどの時代にも起きてきた現象です。
これを嫌うのならば、時代の変化を断つ必要があります。
あるいは、テクノロジーの進歩を捨てる必要があります。

古くから守られてきた「形式」に守られてきた「心」の存在は、
なるべくなら知っておくべきです。それが歴史を学ぶということです。
それと同時に、新しい時代の変化にもフットワーク軽く対応したいと思います。
特に近年は変化のスパンがどんどん短くなっているので、
より敏感に変化を受け入れていきたいなと考えています。



僕が年賀状を書かなかった言い訳をしているわけではありませんが笑
めまぐるしくウェブサービスが変容していく現代ですから、
それこそ数年後はまた新しい新年の挨拶のかたちが生まれているかもしれませんね!
年賀状を送りたい、という気持ちは大切にしながらも、
新しい新年の挨拶の方法の登場を楽しみにする気持ちもあります!



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