今朝の話のつづきじゃないですけど、目標の設定のしかたっていろいろだと思うんです。
到達したい地点や、そのタスクの種類によって目標設定のしかたも変わってきますよね。
期日と求める成果が決まっている仕事型の取り組みだったら
具体的な短期目標を定めてPDCAサイクルを徹底していくってやり方がベストでしょう。
僕もいままで自分の毎日をそのやり方で過ごしていました。
いついつに大学院に入るためにいまはこれをする
何歳のときにこの仕事をしているためにいまはこれをする
みたいな。
でもそうやって過ごしていると、たとえば演奏会の運営なんかの場面ではこの考え方は効果的ですけど、
他の具体目標は達成を設定した時期が中長期的に先すぎて、
日々の取り組みが目標に直結しづらいということがあります。
で、最近気づいたんですけど、最終目標が中長期のものだったばあい
日々の取り組みが目標に直結しづらくてモチベーションが上がらないのだったら、
その日々の取り組みを「目標達成のための取り組み」と考えずに、
「いまを楽しむためにやってる」と思った方がいいようです。
本当に極論ですけど、「老後に年金で悠々自適の生活をするためにいま仕事を頑張る」とか
老後の良い生活が目標だとしてもぜったいそれは日々のモチベーションには直結しないでしょ?
年金制度が数十年後に健全なまま残っているかどうかもわからないですし。(残っているとは思いますが)
毎日の仕事が楽しくて、その結果老後不自由なく暮らせるっていうのがいちばんいいに決まってます。
そもそも僕は、先の目標達成のために「いまは苦しいけど嫌なことを頑張る」みたいなことできないし。
いま楽しいことをやることが一番いいと思っています。
ジムに通うのも、ブログを書くのも、歌を勉強するのも、
それがその瞬間気持ちがいいからやっているのだし。
ただ、そうやって毎日の「苦しいことへの努力」をなるべく取り除きながら生きてると、
僕、本当にこれでいいのかな、なんかバチが当たらないかな…、とか思うことがあります。
なぜかと言えば、世の中では「苦しいことへの努力こそ美徳」みたいな価値観が
良いものとして声高に叫ばれているのを良く聞くから。
「痛みに耐えてよく頑張った」とか「失意の一夜から復活」とか「長い下積みの末の活躍」とか
まるで美談のように語られたりするじゃないですか。
当人は痛かろうが楽しいから続けたんだと思うし、
どれだけ落ち込もうが自分のやってることが大好きだから気持ち切り替えて取り組んだんだと思うし、
目の前の下積みを下積みとも思わずに達成感を感じてたから芽が出たんだと思うし。
僕が達成したい目標のなかでいちばん長いスパンで考えているのは、
◆60代でも現役歌手で最前線にいること
◆山梨に200人級のコンサートホールと付随する文化施設を作ること
なんですけど、これをゴールに掲げてそこへ到達するまでの道のりを細分化して、
では明日は県議会議員のところへ挨拶しにいきます、今日はこの曲を練習します、
みたいなのは僕の肌に合わないかなーと感じています。
それよりも、その瞬間楽しいことをやり続けてたらいつの間にかたどり着いてた、
ぐらいがちょうどいいような気がして。
つまり、「最終目標を常に忘れずに、同時にそれを常に忘れて瞬間を楽しみ抜くこと」が
僕の短期目標だったりします。
そういえば昨日の夜、僕の大好きな「フォーハーツカフェ」のオーナー大木さんに
「山梨に200人はいるコンサートホール作りたいんすよ〜、
そこに世界中のトッププレイヤー招いてコンサートしてもらいたいんすよ〜」
っていったら、「いいじゃん!作ろうよ!」って言ってました。
ホントにつくれちゃう気がします、大木さんが言うと。
大木さんの会社のページとフォーハーツカフェの情報貼っておきますけど。
セツゲツカ Ltd.(合同会社セツゲツカ)
コトバ+わたくしたちのしごと
http://p.tl/7d8P
フォーハーツカフェ
甲府/パブ [食べログ]
http://p.tl/Bm0n
楽しいことやればいいんだ、と思えた瞬間に
「これをやらねばならない」という考え方から解放されます。
僕の心の真ん中の大事なところにあるのはクラシックな音楽だということは間違いないし、
目指すところの最終地点にはオペラのソリストという目標があるのも間違いないので。
無理矢理ストイックなところに自分を追い込まないと手につかないようなことなら
とりあえずそれはほっぽりだしてしまえ、と思います。
「やりたいけど、楽しくやりたい」なら、楽しくやればいいと思います。
楽しく夢中になっている姿を傍から見た人が「ストイックに打ち込んでるねー」と言うのであれば
それはそれでいいのですから。
なんか今日は話がぐちゃぐちゃなかんじだけど、そういうことです。
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