2014年2月5日水曜日

クラシック音楽はハイブランドでもあるからそこは捨てちゃダメだよ、という話







慶応大学教授で経営コンサルタントの上山信一氏のブログ記事で
こんな指摘を見つけました。


”●ルイ・ヴィトンとピアノの類似性 
 このように日本人にとってクラシック音楽は「何となく高級、高尚だけどみんな知っていて手が届く範囲のぜいたく」という存在になっている。実はこれに似たものがある。ルイ・ヴィトンなど西欧のブランド品である。
日本におけるヴィトンの成功は戦後の世界の経済史の中でも特筆に値する現象といわれる。舶来、両家の子女、本物、職人芸など両者に共通するイメージは日本人が好きなものの象徴である。”———引用元(http://www.actiblog.com/ueyama/161257


クラシック音楽が普及した過程とそのブランディングに、
ハイブランドとの類似性がみられるということですね。



こういう感覚、確かにありました。

僕がクラシック音楽を本格的に聞きはじめたのは高校にあがってからで、
それまでは「なんかすごい」「高尚」「教養のある人の趣味」「エリートがやってる」
みたいな認識でいました。

というか、芸大に入るまでもそのような印象を持っていました。

大学に入ってしばらくしてからは、自分の日常のテリトリーに属するものとなったため、
「高尚」「エリートがやってる」みたいな感覚は少しずつなくなっていきました。

けれど未だに、演奏会を企画したり、どうやってクラシック音楽のお客さんを増やすか
を考えたりするときには、この印象から逃げられません。


つまり、世間ではそう思われているのに、
僕らの方がどれだけ「親しみやすいですよー」「簡単ですよー」「気軽にどうぞー」といったって、
「高尚」「教養」のイメージが払拭されるわけがないのです。




そのときにとれる態度はふたつ。



ひとつ
ある程度の知識があった方が楽しめるのはもちろんだけど、
もっと感覚的に、音を楽しむ、裏話を楽しむぐらいの感覚で聞いてよー!と
軟化政策をはかる。笑



ひとつ
ラグジュアリーなイメージをさらに推し進め
尖るぐらいまでにハイブランド化をはかって差別化をしていく。



今の日本では、結構前者を選んでいる演奏家の人口が多いような感覚があります。
レクチャーコンサートみたいな取り組み増えましたし、
僕の周りでもアウトリーチに出掛けたりしている演奏家、たくさんいます。
これはひとついいことですよね。


後者は、どうでしょう。
ごく一部の方が頑張ってらっしゃる感じですね。
名実共に輝かしいトップの方が頑張っていらっしゃるかんじ。



でもね、僕思うんですけど、ハイブランドなイメージをキープする取り組みって、
今後のクラシック市場にとってけっこう重要なのかもしれませんよ。


普段僕は、「クラシックをもっと親しみやすく!」という論調で語ることが多いので
それと矛盾しているじゃないかと意外に思われる方もいるかもしれませんが、
僕の中ではどちらも同じ方向をむいた意見です。



つまり、「ある程度ハイソサエティなイメージの文化に、敷居低く触れることができたとしたら、それって嬉しいことじゃないですか?」ということ。


いい状態のヴィンテージのエルメスのスカーフ、古着屋で見つけたら嬉しいじゃないですか。
ヴィトンのキーリングとかふとプレゼントされたら、嬉しいじゃないですか。

僕だけかなぁ、この感覚。
(ブランド品という“だけ”で毛嫌いする人いますけど、それは無批判でブランドを信仰する盲目と同じ穴の狢なので無視します)



親しみやすいクラシック音楽

と同じくらい重要な課題として

ブランドとしてのクラシック音楽

という側面もしっかり考えていきたいなと思います。






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