日本の音楽市場におけるクラシックの需要は1割ほどだとのことです。
その規模は年500億円ぐらい。
この数字、悪い数字ではない気がしますが。
同規模のほかの市場にどんなものがあるかと調べると
麻雀、スキー場経営、料理教室、打ち上げ花火(!)あたりが該当します。
とはいえ、500億円で十分かというとそんなことはありませんね。
毎年日本全国の音楽大学から数千人(もしくはそれ以上)の卒業生が輩出されていることを考えると、
その全員が音楽を生業にいきていくわけではないにしろ、
日本の音楽家人口はプロ・セミプロ含めて十数万はいるでしょう。
十万人と仮定して、500億円を頭割りすれば一人当たり50万円なので、
全員で仲良くクラシック音楽業界でご飯が食べられるかと言えばそうじゃないわけです。
単純に考えて、供給過多ですよね。
クラシック音楽を聴きたい、買いたい、習いたい、という需要に比べて、
聴いてもらいたい、売りたい、教えたい人が多すぎる。
供給の数が減るか、あるいは供給側全体の質が底上げされることによって需要を増やすか、
どちらかの策が業界の指針として必要なんじゃないかなあ。
で、僕、また突拍子もない方法を考えたので、ちょっとお付き合いください。
◆「専門家」を育てる先生と「愛好家」を育む先生とを分ける
チケットやソフトの売買については今回はおいておきましょう。
教育の話です。お稽古。レッスン。そういうやつ。
演奏家とレッスン教師の二足のわらじを履いている方はたくさんいますよね。
レッスン教師として素晴らしい功績を残されている尊敬できる音楽家ももちろんいます。
でもたとえば、あまりよろしくないパターンもあって、
それほど才能はないが音楽が好き!という若者を集めて、
「君は才能あるよ〜。僕の元で勉強してプロを目指そう!」みたいなことをいって、
レッスン代を集めることを生業としているとか。
これは本当に良くないやつ。
ちょっと難しいのは、大成する可能性は少ないけれど本人のやりたい気持ちは大切だから
大学受験と大学生活ぐらいは面倒を見てあげるけれど、
演奏家として食っていけるかどうかは本人次第だよ〜
(僕の教え方は間違ってなくて、売れる売れないは君のやる気にかかってるよ〜)
というやつ。これは微妙なところ。
いずれにしても、「この業界は昔みたいに誰もが食べていける世界じゃないからね」とか
「お金を稼ぐことが目的じゃないだろう?(芸術を体現することこそ善)」みたいな考え方が
良くも悪くも免罪符になっていたり・・・。
けど、それって思考停止じゃないですか。
食えないのが当たり前ですって、業界の大半が開き直るか諦めるかしてしまったら、
その市場の発展はもはや無い、ってことになりませんか?
ということで、「教える・教わる」の時点でこんなシステムを導入したらどうでしょう。
1、クラシック音楽を教えるのには国家資格が必要となる。
その場合、「専門家を目指す人を教える資格」と「自分で楽しむ範囲で音楽を習いたい人を教える資格」を分ける。
2、前者のばあい謝礼のやりとりは「成功報酬型」と定める。
趣味で音楽を楽しみたい人が、すこしでも上手くなりたいからレッスンに通おう!というのは
とても素敵なことです。そういう方に音楽を伝えることのできる仕事とはとても尊いものですよね。
だから、それはそれでいい。ちゃんとお月謝もいただけばいい。
ただ、教えるためには国の定める試験に合格する必要があることにする。
あるいはレベルや利用者のニーズにあわせて、民間による資格も導入する。
専門家を目指す人を教える資格を持っている場合のみ
プロになりたいという人を教えることができるようにする。
もちろん教師側が両方の資格を取得することは可能とする。
そして、専門家を目指す人を教える資格の場合の報酬は、
ある目標(学校へ合格、コンクール入選、オーディション通過など)が達成された時点で発生する
「成功型報酬」に統一する。
◆「成功型報酬」が生む現象
昨日友人と話していて思いついたんですけど、結構良いかもな〜と感じて書いてみてます。
成功型報酬なので、プロを目指す生徒は日々の月謝を支払う必要がありません。
教師側との時間の都合などが合えば、毎日でも無料でレッスンしてもらえます。
あるいは、レッスン料が発生するとしても必要最低限の経費のみで格安です。
というか、格安にします。1000円とか。
そのかわり、志望していた学校に入学できたり、コンクールで賞をもらったり、
オーディションを通過・合格できたときには、しっかりとした報酬が発生します。
賞金の半額とか、入学金と同額とか。
もしくは、生徒がプロとして活躍できるようになってから収入の数%にインセンティブが発生します。
これが実現されるとどうなるか考えてみると。
教師側の視点は
☆生徒にかけた時間と労力がそのままそっくり月謝にはならないため
より生徒を厳選する必要がある。
成功する可能性の高い生徒(能力、相性etc)を優先してレッスンすることになる。
★生徒を成功させた功績が実績となるため、完全なる能力給に移行する。
生徒側から教師が「選ばれる」という状況になる。
☆そのため割に合わない仕事として専門家の訓練教師がみなされるようになり、
「意欲と能力」のある人材のみが集まることになる。
生徒側の視点は、
☆質のいい教師を選ぶ基準が一目瞭然に分かるようになる。
★意欲と能力があれば質の高いレッスンを初期費用をおさえて受けることができる。
☆教師側が将来費用回収の見込めない生徒のレッスンを断る事例が出てくるため、
必然的に足切りの状態が生まれ、専門家として能力のある人材が選別される。
能力給と選別、というのがポイントですね。
これにより、インチキな方法で食い扶持を稼ぐ演奏家もどきが減少し、
需要と供給のバランスが必然的によくなっていくでしょう。
また、自分の楽しみとして音楽をやりたいと思っている人が、
間違えて専門家育成思考の教師に出会ってしまうということもなくなります。
レッスン教師という仕事が、とても意義ある職業になりますね。
まさに芸術の神の使いのような存在です。
レッスンは無料か格安。弟子の成功を第一に考える。
それま彼に注いだ時間と労力は人間と音楽への愛が生み出すモチベーションに裏付けられている。
☆
じっさいに導入されたらいろんな弊害や、抜け穴を探すような手口も生まれるでしょうが
「クラシック音楽市場の需要と供給のバランスを最適化し」ながら
「演奏家の質を底上げする」ことができるいい方法だと思うんだけどなー。
どう思います?
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