2014年2月17日月曜日
「オペラ大好き」の取り組みのなかで気付いたこと、の話
https://tyottoku.blogspot.com/2014/02/blog-post_4418.html「オペラ大好き」の取り組みのなかで気付いたこと、の話
2月15日に行われた「オペラ大好き」の公演までの取り組みのなかでで気付いたことをまとめてみます。
◆楽譜に書かれていることはしっかりと読み取らなければならない
じつは僕、大学生時代はけっこう楽譜を読むことをおろそかにしていました。
恥ずかしい限りです。
その理由のひとつは
自分の読譜能力・ソルフェージュ能力に自信がなかったから
つまり、音楽の専門教育を受け始めるのが遅かったから(高1の冬から)
楽譜に慣れるほど「楽譜を読む」という経験が蓄積されておらず、
楽譜に対する苦手意識があって、そんな思いから楽譜を読む作業を
無意識的に避けていたように思います。
でも、楽譜はやっぱりちゃんと読まなきゃダメ。
というか、楽譜をちゃーんと読むことが、自分を助けることに繋がるのです。
だから、楽譜は隅々まで読んだ方がいい。
耳で聞いても覚えられるメロディも、じっさい楽譜を見てみると
さまざまな指示が加えられていることがわかります。
ダイナミクス(音の大きさのこと)、アーティキュレーション(音の表情付けのこと)、
アゴーギク(音楽の緩急のこと)、フレーズ(どこまでがひとまとまりなのか)。
そういった細かな指示が自分の歌うメロディにつけられていることを知ることにより、
自信を持ってその曲を歌えるようになるのですね。
なんか、すんごい初歩的なことで恥ずかしいんですけど、
普段曲を耳で覚えてしまう習慣のあった僕にはとても重要な気付きでした。
◆読み取ったことをお客さんに理解してもらわないと意味が無いってこと
上演する作品の台本を読みこんだり、楽譜を読みこんだりして、
まず僕たちは、作品の意図や作曲者の意図をしっかりと理解することにつとめます。
そして練習を重ねていって、出来る限り自由にその曲を歌えるようになることを目指し、
その過程で自分が読み取った重要な要素を自分の歌唱や演技に織り込んでいこうとします。
でも演奏とは、「自分が理解したことをやってみるため」にあるのではありません。
「一所懸命読み取った作品の意図や作曲者の意図を、お客さんに理解してもらう」のが
一番の目標です。
とくに今回僕が扱ったのがコテコテのコメディだったので、その傾向はさらに強くなります。
台本上で面白いはずのやり取りが笑えなかったら意味ないのです。
笑ってもらって、可笑しがってもらえるように、アウトプットをせねばなりません。
自分がやりたいこと、に主軸があるのではなくて、
作品の面白さをお客さんに理解してもらうこと、に主軸があるのです。
それも、瞬時に。
ひと目で「面白い!」と思ってもらえなきゃ喜劇にならないのですね。
僕自身が「この場面のここが面白いんだよな〜うっしっし」と心の中で思ってたって
それだけじゃダメなんですね。
お客さんに「面白い!」が直球で伝わらないと。
◆キャラクターに相応しい衣裳やメイクや体型について考え抜いたほうがいい
僕が今回演じた役はドン・パスクワーレという役。
イタリアの伝統的な喜劇の形式に当てはめると、パンタローネに対応します。
つまり、おじいちゃんで、太ってて、間抜けで、強欲で、騙されやすくて、色狂い。
僕は現状、若くて、ガリガリに痩せているので、
そのまんまじゃとてもじゃないけどパスクワーレに(パンタローネに)は見えないのです。
だからこそ、どんな衣裳を揃え、どんなメイクをし、必要ならば肉布団を着るのかなど、
物語の内容を瞬時にまっすぐ伝えるために「見てくれの工夫」をやらなければいけない。
僕は今回、当初そこまでその作業に必要性を感じていなかったため、
その点を指摘された時にはそこに思い至らなかった自分の愚かさを深く悔やみました。
衣裳の手配は残念ながら間に合わなかったため、老けメイクと白髪加工でなんとか頑張りましたが、
次の機会からはもっと上手くこの問題を考えることができそうです。
◆僕は人に相談したり悩みを打ち明けることが苦手だ
演出家の先生や指揮の先生との稽古のなかで、
自分のなかで不安や疑問が渦巻く瞬間がたくさんありました。
自分の声にも、歌にも、演技にも、解釈にも、
それぞれ少しずつ自身のなさがあって、そんなときに不備を指摘されると
けっこうヘコむものです。そんなの非生産的だぜ、とか頭ではわかってるのに。
本当だったら共演者や、カンパニーの先輩方・先生方に相談してしまえば
かなりの確率ですぐさま解決した問題だと思うのですけれど(いま思えば)
その瞬間にはなかなかその行動には移せないものなのだと理解しました。
プライドなのかなんなのか、「助けてーーー!僕、困ってるんです!!!」
ってなかなか言えないのは厄介なことだなと思います。
でも、その性質を自分自身で受け止められたのでそこは大きな収穫だなと思っています。
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