2014年2月12日水曜日

「美しい国」とか大声で言われると掻き消されちゃうような類いの美しさこそ「日本の美」だと思うけどな、という話





白州信哉さんのツイートになんともいえなく納得しました。




 昨日の建国記念日の文脈でつぶやかれたものです。
「すくなくとも神武ではない」というところに、近頃の保守層の
「美しい国」という標語への牽制を感じられます。
でも、白州信哉さん自身には政治的なポジションというのは感じ取れなくて、
「国はふわっとしたもの」で実体なんかないんだよーということだけ優しく指摘している。



白州信哉という人物は、その血筋がなんかもうすごすぎて、
僕なんかはそれだけでバイアスかかっちゃうんですけど。
父方の祖父母が白州次郎・正子夫妻で母方の祖父が小林秀雄ですから。



「だからすごい」わけではないですけど、
「だからこそ」この国の細部に宿る美しさみたいなものを救いあげられる視点を持っている方だなーと思っています。


細部の美しさ。地方の美しさ。そこに生きる人と土地との繋がりの美しさ。
こういったものは、国民全員で上を見上げて見つけられる、神々しい輝きを持ったような大義名分とは全く性質のことなるものですよね。


上のツイートの前にはこうつぶやいてます。






「記紀を読めば控えめに、ただ征服即位したことだけ書いてある。(それを大袈裟に取り上げ神武天皇即位をことさら賛美したのは明治時代。)明治はそんな時代だった。」
ということでしょう。




あんまり、国が国がっていうの、僕もどうかと思っているし、
国の期待を背負って〜、みたいな文脈で扱われているオリンピック選手も可哀想だと思うし、
いろんな考えや状況の人が一緒になって、それぞれ小さなコロニーを作って、
そのなかで一番ワクワクしてほっとする生活ができることが幸せだよな、というぐらいに
僕の国家観ってふわっとしているんですけど、でも本当にそう思っています。
手の届く範囲の人を幸せにしてあげられるようになりたい。

でも、世間の流れは「美しい国日本」とか「強い日本を取り戻す」とか
「地方から日本を再建する」とかだから、そこに気持ちがついていかないというか。

ついていかなくていいんですよね。仰々しい大声の主張がハリボテだと思ったのなら。

そういうことを再認識させてくれるツイートでした。





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