2015年5月3日日曜日

愛について、という話。






愛について。


☆ ☆ ☆



恋と愛の違いは

たくさんの哲学者や多くの小説家が、これまで議論し尽くしてきてもなお
真理の見つかっていない大きな命題です。
あるいは、市井の一般人である僕らもことあるごとに考えてきた問題かもしれません。
ときには飲み会の肴として。ときには眠れぬ夜の自問自答として。


今の段階の僕なりの答えは、その人のことを傷つけたくないという思いが第一優先であるかどうか。
その人の傷ついた顔を見たくないと思うかどうか。


恋する青年は時として残酷で、自分が恋している相手の全ての表情が見たいと思います。
笑顔も、怒った顔も、泣いた顔も。
全てを見たい、全てを知りたいという気持ちが強すぎて、
己の欲が強すぎて、しばし相手のことを蔑ろにしてしまうことがあります。
女性もそう思うのかどうかは、ちょっと僕にはわかりません。

けれど愛する人を思うとき、その人を傷つけたくないという思いが一義になります。
安らかな関係を紡ぎたいのに、わざわざその人を傷つける道理はありません。


でも、それなのになぜ、最愛の人を傷つけてしまうことがあるのでしょうか。



☆ ☆ ☆



「愛」と一口に言っても、文化が違えばその背景は様々です。
キリスト教的愛とイスラム教的愛と仏教的愛は、その実、別ものでしょう。
ギリシャ哲学的愛とロマン主義的愛も異なるものを指しています。

僕は、どうも僕の感じている愛は、神道の考えに近いように、今ふと思いました。

八百万の神々と共に生き、お天道様に恥ずかしくないようにと自律する心。
自然の荒々しさもそのまま受け止め、人々の違いも個性として尊び和とする心。
これは、右とか左とかいう話とは全然別個のことです。


相手を操ろうとか自分に有利なようにしようとかではなく、
相手に恥ずかしくないように、生きる。
そんな気の持ち方と愛ということばの指し示すものが、僕の中で符合するような気がします。



☆ ☆ ☆



とかいいだすとすごーく難しくてややこしい話になりそうなんですけど、
本当のところはシンプルです。
相手を傷つけたくないという気構えをもって生活していくということ。

そのためには、相手が一体何に傷つくのか、というところを理解しなければいけません。
自分は平気だから相手も同じことが平気か、といえば、そんなことはないのです。
相手と自分はまず全く別の生き物なんだと自覚して、
自分の考えこそ第一と捉われずに、相手がどう感じているのかに寄り添う。
そういう世界の見方ができないと達成されない気構えですね。

独りよがりはダメダメ。
自分のものさしをまず疑うこと。
自分にとってお天道様のような存在である相手に、恥ずかしくないように生きること。



☆ ☆ ☆


愛について。






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