2013年12月29日日曜日

「やりはじめたらやり遂げる」だけが美徳じゃない、という話







一度手を付けたら最後までやり抜くことが美徳だ

こんな価値観、世間でよく言われますよね。
学校教育の中でよく聞かされた気がしますし、もしかしたらある種の社会では
大人になってからも言われることなのかもしれません。

でも僕は、自分に向いてないことがわかったのなら
途中でやめてもいいんじゃないかな、と思っています。






一時期、写真が上手くなりたいなーと思ったことがありました。
僕の周りの友人にも写真が好きな人が多くて、彼らが軒並み素敵な写真を撮っているのをみると
なんだか羨ましくなって「僕もこんなの撮りたい!」と思うようになりました。
意気込んでデジカメも買ってみたんですけど、結局写真を撮る習慣が身に付かず
当然上達もしませんでした。



カメラでも何でも同じだと思いますが、
憧れていたはずのことなのに、始めてみるとなんとも続かない。
続かないのに道具を買ったから無理矢理習慣付けようとしてみる。
それでしばらくは続くのだけれど、1週間も持たないで結局やめてしまう。
そんなことってありませんか?




「物事に手を付けたら続けることこそ美徳」という価値観が力を持っている社会の風潮からすると、
自分は意気地がなくて無駄遣いをする、ダメな性格の持ち主なのかなぁなんて悩むこともあるかもしれません。

でも、実は自分に向いていないことなのに
「続けることこそ美徳」だからとうい理由だけでやりつづける必要って、
本当は全く無いんですよね。
向いてないなーどうも頑張らないと続かないなーというものは、やめた方がいいケースの方が多いです。




「一度手を付けたら最後まで続ける」のが正しいことだとあちこちで聞かされると
その言葉がプレッシャーになったりしますが、僕が写真をやってみようと思ってダメだったことで学んだことは、
「僕に写真は向いていないんだ」という点でした。
これがわかった時点で、デジカメを買ってみた価値もあるかなと思います。



人には向き不向きがあるはずです。これは誰でも知っています。
それなのに、向いていないことでも手を付けたら最後までやり通せ、と言われる。
なんかおかしいなーと僕は思います。



僕自身、写真に興味があって憧れで手を付けてみましたが、
自分の生活スタイルや本当の好みに合わないと気づいて自分で撮ることをやめてから、
他人が撮る写真の素敵なところを前よりもじっくり味わえるようになりましたし、
なまじ写真の撮り方をgoogle首っ引きで勉強してみたお陰で
以前よりは写真とはどういうものなのかという知識もつきました。

写真は全然続かなかったけれど、歌と料理とブログを書くことは続いているし、
そういう自分にあったものを見つけられていることで十分な気がします。

色んなことに興味があることを、注意力散漫だと嗜められることが多いのが日本の社会です。
けれど、もしあなたが、僕にとっての歌や料理のように「自分が戻ってくる場所」を持っているのなら、
色んなことに手を伸ばしてみてもいいんじゃないでしょうか。

そして、それが向いてないなー、続けることが苦痛だなー、と思ったら
あっさりやめてもいいんじゃないでしょうか。



世の中には、「苦しいところを超えないとわからない面白さ」というのがあります。
確実にあります。それはどんなものにでもある境地だと思います。
けれど、世間の全員がそこまで到達しなければいけないなんて、誰が決めたのでしょう。




ってことで僕は、写真の深淵を目指すは人に任せて
歌と料理と作文の深淵を目指し続けることとします。ハッピーに


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