2013年12月19日木曜日

たくさんのことに興味があってひとつのことに絞れないのは決して悪いことではない、という話









専門性の高い仕事に於いてはそれにどこまで時間を注げるのかが重要なファクターなんじゃないか



という記事を書きました。

そうでありながら、プロブロガーのイケダハヤトさんが仰っている


「頑張る」人は一流になれない : ihayato.書店 http://p.tl/Fk7g



という話もよくわかります。



一流になるような人は、「その道が好きで好きで仕方のない人」ばかりです。

絵を描くのが、100mトラックを走るのが、歌をうたうのが、お金を稼ぐのが、大好きで
毎日毎日好きなことについて考えてしまうし、
好きなことに触れていないと仕方がないのでしょう。


当の僕は、というと

歌のことを毎日考えているけど、料理のことだって、スーツのことだって、
文章を書くことについてだって考えていて、それぞれ毎日に触れています。
それを「注意力散漫でひとつのことに絞れない」とネガティブに捉えていたこともあります。

けれど、大学の卒業を間近にした頃から考えが変わってきました。

いまでは、「歌のプロに留まらず、“山野靖博のプロ”になろう」というのが
僕の生き方を表すのに最も相応しい言い方じゃないかなと思っています。




昨年、「ファッションが教えてくれること」というドキュメンタリー映画を見ました。




アメリカ版ヴォーグの超有名編集長アナ・ウィンターを追ったドキュメントです。



そしてつい最近「ファッションを創る男~カール・ラガーフェルド~」も見ました。



「モードの皇帝」と呼ばれるデザイナー、カール・ラガーフェルドのドキュメンタリーです。


長くなるので内容は省きますが、本編の中で各人それぞれに仕事について語っていました。



アナ曰く 
「仕事が人生よ」 

カール曰く
 
「仕事はただの仕事だ。人生の最重要事項じゃない」

対照的なふたりの言葉ですが、しかし、同じことの表裏のように、僕には考えました。

どちらもそれぞれの世界でのプロフェッショナルであり、
そしてそのライフスタイルと仕事とが不可分なほどに重なりあってみえたのです。


仕事を語ることばは違えど、どちらも「私はこう生きて、こう選ぶ」という姿勢を

鮮烈なまでに強く持っている人物です。
つまり、人生が「ファッション」というスタイルを持っていて、
その人生を生きることそのままが、「仕事」に変換されているのです。


そしてこの感覚は、最近の僕の「山野靖博のプロになろう」という気持ちと

とても重なる部分があるように感じられたのでした。



肩書きがないとその人は何者でもない、という考え方からは

なにかの役職や専門職、所属団体などを求める生き方がうまれます。
でも、声楽家の僕も、料理を作る僕も、スーツが好きな僕も、こうしてブログを書く僕も、
どれも僕自身であり、それぞれは不可分に密接に絡み合っています。
そして、それぞれの要素に強い関連性をもたらしているのが、
紛れもない「山野靖博」という存在なのです。

何も難しいことも、かっこいいことも言っていません。

肩書きよりも、生き方を優先した方が僕には合っていると気づいたのです。



世界を見渡すと興味は尽きません。それを注意力散漫というのはストイックでいいですが、

機会損失も甚だしく思います。好奇心旺盛であればあるほど、
自分の生み出す仕事の質も向上すると僕は思います。
自分の進む道を、自分の好きなことをひとつに絞れないと悩むくらいなら、
全部やってやるぜ、と開き直るという選択肢もあるのです。

ただ、その分「何者にもなれないリスク」は増大しますがね。


けれど、自分という生き方に24時間365日の時間を注ぎ込めるのならば、

あなたはその道で一流になるための切符を手にしているのです。
成功するかどうかはわからないけど。




 



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