2013年12月18日水曜日

専門性の高い仕事に於いてはそれにどこまで時間を注げるのかが重要なファクターなんじゃないか、という話





大学の寮で暮らしている頃に油絵科の先輩から
「デッサンにしろなんにしろ、絵が上手い素人とプロの画家の違いは、
そのカンバスにどれだけ時間をかけられるかの違いだ
という話を聞いたことがあります。
画家というのは傍目からは出来上がっているように見える絵でも、
いくらでも描き込んでいくことができるそう。


先日お会いしたひとりの大学教授はアニメーション研究が専門の方だったけれど、
同じことを仰っていました。
「アニメーションや特撮ってのは時間がかかるものだし、
時間をかければかけるだけ品質が上がる」と。
加えて、映像監督からすれば公開日という締め切りがあるから
仕方なく妥協してリリースすることがある。それでは満足できないから、
その後も作業を続けて時間の制約なく好きなだけ手を加えて、
後々ディレクターズカット版が世に出されることがあるよね、とも言っていました。


プロの定義ってなんだろうね、っていう話を仲間とすることがこれまでも何度かあって、
その度に「お金を稼げればプロ」「実力や技術がないとプロとは言えない」とか
さまざまな結論が提案されるのだけれど、
僕の最近の考えでは、

「プロの定義はさまざまでいいけど、それ以前にその道のプロに成れるかどうかの境目は、その作業にたくさんの時間をかけられる性格を持っているか否かに重なる」

という点が「プロってなんだろう」という疑問よりも重要な気がしてます。
だって、僕は「プロとはなにか」を“知りたい”ではなくて、
「歌のプロ」に“なりたい”のですから。


プロブロガーのイケダハヤトさんの記事にこんなものがあります。

「頑張る」人は一流になれない : ihayato.書店 http://p.tl/Fk7g

イケダハヤトさんは毎日毎日記事を書いたり、
面白い記事を書くためのネタ集めの取材なんかに出歩いたりして、
それこそ一日24時間をかけてブログ運営をしているそうです。
そして、そのことが全く苦じゃなく楽しいと。



どんな仕事でも熱中し時間をかけないと一流にはなれないのでしょうけれど、
特に専門性の高い仕事は、時間をかけることの重要性がより強いのだと思います。

カンバスの上の一本の線にどこまで向き合えるか。
CGと実写の合成にどこまで手をかけられるか。
ひとつのメロディーのクオリティをどこまで向上させられるか。

そこで自ずと勝負がついてくるのですね。



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