2015年6月20日土曜日

ただただ「自分に厳しい」のは現状把握ができないという一つの問題なのではないか、という話。






「自分に厳しく」というのは非常に難しいことですよね。

僕なんかぶっちゃけ、生来のものぐさですから
ちょっと油断してるとすぐ楽な方へ楽な方へと流されてしまいます。
そんな性格の僕が練習や上達にとても手間のかかる声楽をこうして続けられているのだから、
よっぽど音楽と歌うことが好きなんだろうな自分、と思っています。


それはそうとこの「自分に厳しく」というやつ。
尊敬するほどにとてもストイックに自分を律しながら生活や仕事に向き合っている方もいる反面、
「それって厳しすぎなんじゃないの・・・?」と思う様な方もいらっしゃいます。


前者はとても尊いことで、ストイックに生きるという素晴らしい才能をお持ちであって、
もう僕には到底真似できないその姿勢を見て、強く刺激を受けます。

厄介なのは後者なんですけれど、自分に厳しいを通り越して、
それはただただ現状把握ができてないだけなんじゃないのー、という場合があります。



どうしてそんなことを思ったかというと、自分の歌の生徒とのやりとりのなかで感じたのです。
彼は器用なタイプではありませんが、歌が好きで、レッスンに来るたびに一所懸命歌ってくれます。
はじめた頃は音程も安定せず、声も思うようにはでなかったのですけれど、
今ではかなりその辺りのことは改善されて、僕自身も手前味噌かもしれませんが
「よく頑張ってここまで歌えるようになったなー」とこの頃は感心するばかりなのです。

でも当の本人に「とっても上達しましたね」と伝えても
「いや、ダメでした」とか「今の歌は全然良くなかったです」とか、
そういうネガティブな発言しか返ってこないのです。
当初は(ずいぶんと自分に厳しい方なんだなあ・・・)ぐらいに思っていたのですが、
最近になって、これは自分に厳しいのではなく、ただ自分への否定がすべてに先立っていて
現状把握ができていないだけなんじゃないだろうか、と考えるようになりました。





例えば、自分が何かのアウトプットをしたときに
(歌でも踊りでも、営業でもプレゼンでもなんでもいいのですが)
良いところが5あって、悪いところも5あるとします。
わかりやすく単純化して表していますが。


このとき、上手に自分に厳しい人というのは
自分には良いところが5つあるが、悪いところも5つあったという状態を正確に理解し、
その次の瞬間からの自分の行動を以って、良いところを5.1に増やし、
悪いところを4.9に減らす努力を続けられるのだと思います。

逆に自分に甘い人は、良いところの5ばかりを見て、悪いところの5を受け取らないか、
そもそも悪いところはないかのごとく良いところが10として振舞ってしまいます。


そして、一見自分に厳しいと思われるけれど、自分への否定がすべてに先立ってしまう人は、
自分の良いところの5を一切見ずに、悪いことの5ばかりを取り上げ、
それを自分に対する批評のなかで10にも20にも増幅して捉えてしまいます。

これは、良いところばかりを見てそれを増幅させてしまう自分に甘い人と同様の
冷静な現状分析ができないという状態に陥っているのではないでしょうか。




生まれてきて25年、この日本という国に生きてきましたが、
どこか、自分に厳しいことが美徳のように語られる節があるように思います。
けれどその場合の価値観では、多く、「自分に厳しい」という一言で、
"真の意味で自分に厳しい人=現状把握に優れている人"と
"まず何よりも先に自己否定がきてしまう人=現状把握ができていない人"とが
いっしょくたに語られてしまうことがあるのではないでしょうか。



本当ならば、"まず何よりも先に自己否定がきてしまう人"は
自分に甘い人と同じく、現状把握が上手にできないという問題を抱えているはずなのに。



先の生徒には、「とりあえずは自分が上達したことを受け止め、
その事実を喜ぶことからはじめてみようか」と提案してみました。


ストイックであることは素晴らしいことですが、
それはけっして、やみくもに自分の挙動を否定することとイコールではないはずですよね。
すくなくとも僕はそう思います。







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