2014年1月8日水曜日

年を取るにつれて未知のものへの恐怖は何もしなければどんどん増していく、という話







年を取る、ということは成功体験の数が増えていくということです。
出来ることが増えたり、出来た!という体験が増えると
人間はどうも失敗や初めてのことに対して臆病になりやすい。
それに伴って、「上手く出来ない」ことへの恥ずかしさも増えていくみたい。


成功体験というのは最も身近な「前例」です。
大人になるに連れて、こうしたら上手くいった、という方法論がどんどん蓄積されるのです。
人生に於いてこの「前例」が増えていくと、どうしても僕らは
もう一度成功したいという願望を強く抱えるようになっていくみたいですね。


昔は失敗しようが転ぼうが自転車に乗る練習ができたのに、
今になると新しいチャレンジになかなか踏み出せない、という状況って多くあるでしょう。
しかも、そういう場合「チャレンジしたい」という気持ちはあるのに、
“なんか勇気が出なくて”チャレンジを見送ってしまうというパターンが多く見受けられる。



出来ることが増えて、それが自分の生活行動の大半を占めるようになると、
出来ないこと」や「未体験なこと」はイレギュラーで未知の領域になってきます。
ところが僕たちはそもそも、知らないものへの恐怖を強く持っています。
「死への恐怖」です。
知らない場所や想像のつかない体験に身を委ねるのは、
ビルの屋上から足を踏み出すことと同じです。



だから、大人になったときに「未知の領域」にチャレンジすることは
とても大きな努力が必要なことなんです。
子供に比べれば、その生きてきた日数倍だけエネルギーが必要なはずなんです。
そこで自分を焚き付けていけるかどうかが、結構重要だったりします。


「チャレンジしないこと」自体は、なにも悪いところはありません。
やりたくないことをわざわざやる必要はないし、それを人にとやかく言われる筋合いもない。
問題なのは、「本当はやってみたいのにそれが未知の領域だからという理由だけでチャレンジしない」ことです。
「初めてのことだから失敗したって当たり前だよなー、下手だって恥ずかしくないよなー」
と自分に言えないという理由だけで一歩を踏み出せないことは、問題です。
だって勿体ないもの



いいですか。

初めてのことは失敗したって当たり前です。
初めてのことは下手だって恥ずかしくないのです。


ってことで、僕はこれからも色んなチャレンジをしていくつもりです。
失敗しようが下手だろうが。






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