2014年1月17日金曜日
プロになるために僕に足りていないもの、の話
https://tyottoku.blogspot.com/2014/01/blog-post_5166.htmlプロになるために僕に足りていないもの、の話
プロとアマチュア
テクノロジーなどの進化によって、それぞれの境界線があいまいになってきたと言われますが
やっぱり違いはある、と思います。
特に僕は声楽家を目指しているので、直接的にテクノロジーは関係なかったり。
ただ、このことだけは最近、心に刻もうと思いました。
実力もない、勉強も中途半端なくせに、エセ専門家ぶるのは辞めよう。
このフレーズ書くのも恐ろしいです。胃の辺りがグルグルします。
でも、冷静な外部からの指摘と、冷静な自己分析によると
今の自分、まだまだやれることやってないよね!?という結論に達したので
その事実はちゃんと書き留めようと思います。
さて、声楽家として。
プロフェッショナルの境地に達するためにはなにが必要なのでしょうか。
たぶんこれについての明確な答えは、数十年後に僕が一線で活躍できているとして、
そのときに過去を振り返った経験則として導きだされると思います。
なのでいまは仮説を立ててみます。
で、それをこれからの人生で考察・実証していくわけですね。
1、練習の量は「達成感」ではなく「結果」によって決める
今日は1時間歌ったから満足だ〜! とか
今日はとりあえず全部の歌詞を訳したからいいでしょ! は
自分の達成感や満足度を基準にした練習量の判断です。
本人がものすごいストイックで、満足度に達するまでの基準値が高いなら問題はないでしょうが
僕はものぐさで手を抜きたがる性分なので、自分に判断基準があると良くないと理解しました。
「今の状態のまま最終リハーサルに臨めるのか」
を価値判断の基準にしてみようと思います。辛そうだけど。
2、曲の勉強はテキストが「自分の言葉に置き換わるまで」が最低限
歌についている歌詞は大概が外国語です。もちろん日本語の楽曲もありますが。
そういった歌詞を勉強した結果、
訳して読んでなんとなく概要が分かったので学ぶことを終えることがあります。
これはなににもなっていないのですね。
外国語だろうが日本語だろうが、自分の言葉に置き換わるまで、
あるいは、テキスト自体が自分の言葉のように思えるまで
その内容を声に出して読みこみ、文字通り身体に染み付くまで反復する必要があるようです。
いきなりいくつも目標をつくっても、それをクリアすることで息切れる気がするので
とりあえずこの2つが呼吸ほどに自分のベースになることを目指します。
そこがまず、ちょっと普通より歌が歌える人、から、
プロの領域へと一歩を踏み出す入り口かなと思うので。
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