2014年1月24日金曜日

「明日、ママがいない」に出てくる“オトナ”な子供たちに嫌悪する大人へ。






また懲りずに「明日、ママがいない」の話ですけど。

いろんな意見が出てきましたね。第2回放送では、
スポンサー3社がCMの放送を見合わせたようです。

テレビ番組と広告は好感度で持っているようなビジネスモデルなので、
これだけ否定的な意見がピックアップされると仕方のないことかもしれません。
とはいえ、なんだかなーと思いますけど。


第2話になって、各登場人物の過去が少しずつみえてきました。
これからもいろんな情報が明らかになっていって、
ドラマトゥルギーがどんどん深化していくように思われます。

いろいろ思いながらみていて、ふと気付いたことがあります。

このドラマの主人公である子供たち、めちゃめちゃ“オトナ”に描かれてますよね。
もしかして、この「オトナな子供」に、反射的に嫌悪感を抱いている人が多いのではないか、
と思ったのです。



「子供は子供らしくしていた方がいい」という意味の分からない信仰


ポストにしろボンビにしろピア美にしろ、ドラマの中とはいえ、
そして優秀な子役が演じているとはいえ(優秀な子役が演じているから?)、
あまりにも言動が大人びています。というか、劇中に出てくる大人の登場人物よりも
子供たちの方が冷静“オトナ”な判断をしています。


この、「大人よりもオトナな子供」に対して
無条件に危機感を覚える大人って、意外といるんじゃないかな、と思います。

子供を子供扱いすることしか出来ない大人。
そういう大人が、もしかしたら、
テーマの描き方(非人道的なホームの描写)とか
差別的なあだ名(本当は子供たち自身が選んだ誇りある名前だけど)以前に、
劇中に登場する子供の振る舞いになんとなく嫌悪感を持って、
それがドラマに対する嫌悪を増長させているような気がしてなりません。
僕の読み違えだったらいいんですけど。

厄介なのは、大人びた子供を嫌悪する大人は、自分が抱いている嫌悪感が
何に起因しているのかに鈍感が場合が多いという事実です。



僕の周りの大人はそうでもないんですけど、
「子供は子供らしく」「若者は年長者に従うものだ」
みたいな考え方を持っている方、まだまだ結構います。

子供は純粋なものだ 
子供は素直なものだ 
子供は大人の言うことをきくものだ 
子供は自分でものを考えられるわけがない

こういう考え方は、「子供は子供らしく」の思想に直結します。

「子供は子供らしく」とは、つまり
子供を「子供」というカテゴリーで判断しているということです。
ひとりの子供を目の前にしたとき、まず彼・彼女という個人の人格に対するのではなく
「子供」というカテゴリーに対してコミュニケーションをとるということです。

そうするといろんな価値判断基準が相手ではなく、
自分の中にある「子供というイメージ」に依存してしまいます。
その子供とはこういうものであるという「イメージ」から外れて子供がなにかをすると
「子供らしくない=いけないこと」という判断が下されます。
この場合の吟味点は「その振る舞いは子供らしいか否か」であり
決して「彼・彼女という一個人が私との関係に於いて許される振る舞いか否か」ではありません。




子供って結構“オトナ”であるし、どこまでも子供


子供は、ただ大きさが小さく経験量が少ない大人なのではないかと考えています。
もちろん必要以上に大人な振る舞いを子供に対して「強要」したいわけではありません。

でも、子供って僕たちが考えている以上に、自分でものを判断する力があります。
3歳児でもそうですから、小学生にもなれば、大人が根気よく付き合ってあげる限り
子供は大人とのあいだに冷静な対話関係を結ぶ能力があります。

けれど、大人ほど抽象的な話題や長いスパン、広い視野を含めた話題に対応が出来ないので
その点は気をつけなければなりません。



子供は僕たちが勝手に想定しているより“オトナ”である。

この点に気をつけて見てみると、
「明日、ママがいない」というドラマにこめられているメッセージがより明確に伝わってきます。




冷静な批判のみで世界が満たされるといいんだけど

ここまでドラマの影響が広がってくると、
「このドラマはいいドラマなんだから文脈を読みとってない批判はやめて!」
という主張は、その力を少しずつちいさくしていって仕方ありません。

公式なレベルでの、放送倫理に関わる問題については
然るべき議論をしなければいけません。
その上で番組が打ち切りになるというなら、残念だけれど、仕方ないです。


ただ、個人レベルでの批判の集合体。いわゆる「世論」の段階で、
「子供は子供らしく」という思想によって引き起こされる、
「明日、ママがいない」に対する“何となく感じるヤな感じ”が
「人権侵害」「名誉毀損」という大義名分に都合良く当てはめられて批判されるならば、
そういった感情が大きなうねりとなってしまうこの社会の存在を
ちょっとだけ冷静に考えてみなければいけないと思うのです。


もう少しだけ、このドラマが巻き起こすいろんなことに
注視していたいと思います。



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