就職せずに自分のやりたいことをやっていると、
自分のやりたいことがどうにも上手くいかなかったり
自分の才能に不安を感じて数日ふさぎ込んでみたり、ということもあります。
それに耐えきれなければ、フリーランスをやめてバイトでもなんでもしながら
生きていくことを選べばいいのですが、
今のところ耐えられているし絶望もしていないし、
自分の状況を楽しめているので結果を出すまでトライアンドエラーを繰り返していくと思います。
昔のブログを読むと、大学を出て肩書きを失って
社会人でありながらも何者でもないという不安感からか、
随分上滑りした記事を書いていることに気付きます。
その時はそれで精一杯生きた証なので恥ずかしいわけではありません。
いまも当時と大きく状況が変わっているわけではありません。
収入も安定しないどころか現状はほとんど無いような状況です。
それでも、心情的には、1〜2年前よりも追いつめられた感じはしません。
なぜか。
あるときに、「人生はシミュゲーだな」と思えたからだ、と感じています。
◆人生はシミュゲーだ
中学生時代に出会ったパソコンゲームがありました。
「エイジ・オブ・エンパイア」というそのゲームは、
ある土地の領主となり、国民に資源集めさせたり、軍隊を訓練して
敵の領地を攻撃・占領し、地図上をすべて征服することが目的です。
僕はあまりゲームをやり込んできた少年時代ではなかったです。
特に、あまりRPGには興味を持たず、ドラクエもFFも、やり通したタイトルはありません。
それでも上記のような戦略シミュレーションゲームには特別の興味があって、
たくさんの作品をやったわけではないですが、今でもiPhoneで気に入ったものをやったりしています。
学生時代まではあまり思うことは無かったのですが、
学生という肩書きを失って自分自身を商品として生きていかなければならなくなった今、
毎日を生きるって、戦略シミュレーションゲームだな、とつくづく思うのです。
現時点で仕事がじゃんじゃかあれば、それはひとつの理想なのかもしれませんが
僕は今の段階でそうではないので、予定の無い時間がたくさんある分、
未来の自分のために練習を積み重ねたり、見聞を広げたり、知識を貯えたりして
自分の能力を強化することにつとめています。
まるで、兵も資源も持っていない領主が荒れた土地を耕す命令を下すかのように。
◆ゲームなのに規制が無い
普通のゲームだと、制作者による設定が必ずあります。
近代都市を作るゲームのなかで兵士を量産することはできませんし、
ウイルスを世界に感染させることが目的のクエストの中で、アイドルを口説くことはできません。
でも、僕たちが生きているこの世界では
やりたいなーと思ったことは大概できます。法に触れることでなければ大概。
今すぐにやりたいことができなくても、それはプレイヤーのレベルが基準値に達してないだけなので
まずはコツコツとスキルアップの作業をしていけば、未来の何処かで実現する可能性もあります。
職業変更も自由です。
スキルアップをすると、選べる職業がどんどん増えます。
もちろんキャラクターの向き不向きもあるので、その点は冷静に分析して戦略を練らなければいけません。
この考えに気付いてから、毎日の生活が大分楽になりました。
今はまだプレイヤーのレベルが低いから、やりたいことが実現していない。
状況と資質を冷静に分析して、能力を強化することがいまできることだ。
◆この生き方でなければならない、なんて生き方は無い
もちろんこの考えで、僕の人生観をすべて語っているわけではありません。
辛い時や挫けそうなときの特効薬として、
あるいは短期では実らないであろう努力を重ねるモチベーションを上げたいとき、
人生は戦略シミュレーションゲームだ、という考え方を脳みその引き出しから持ち出してきます。
それでいいんじゃないかな、と思うんです。
いち舞台人としての在り方を真剣に考えるときには、プロ論を念頭に置きますし
生きるとはどういうことなのかと模索するときには、哲学的なアプローチを選びます。
人生とは、一言でいうなれば、一言では言い表せないなにか、です。
そもそも一言で言い表せないのならば、あらゆる言葉を自分の中に溜めておけばいい。
そうであっても、胸の奥で見つめているその、言葉で言い表せない実体は
いつも変わらないはずなのです。
同じものをありとあらゆる言葉で語ることで、見えてくるものもあれば、
救われる心もあると思います。
目の前の課題や問題に怖じ気づきそうな時、僕は、
このキャンペーンどうやって攻略してやろうかな!と考えます。
その時だけ、僕は人生という名の戦略シミュレーションゲームのプレイヤーになります。
僕は僕を操作する第三者になります。
ということで、今日もコツコツとレベル上げをします。
0 件のコメント:
コメントを投稿