2014年1月14日火曜日

お洒落の境地に到達するためにはたくさん時間をかけて経験を積む必要がある、という話。

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お洒落とは、大量の経験から生まれた計算による決意が、表に現れるのです。


うわ、この人お洒落だな!と僕が感じる人って
その装いを見ただけで、その人が触れてきたファッションの経験の多さ
すぐに伝わってくるような気がします。


僕はどちらかと言えば、オーセンティックな、トラッドな雰囲気が好きで
そういう「紳士の装い」という伝統を現代に読み替えたモードにも興味があります。


だから、街を歩いても目につくのは、ストリート系ファッションの男性よりも
気崩しにトラッドな香りを漂わせていたり、むしろジャケットスタイルを突き詰めていたり、
そういう雰囲気の方ばかりです。


とはいえ、ストリートな感じの人でもビビビっ!とくる時はあって、
そういった瞬間に何が僕の中で何が起きているのかなと考えてみると、
その装いの向こうに見える、服を着ている本人のポリシーとか選択への決意
それらが僕の心の琴線に触れるのだと思い当たります。



僕もそうですけど、多くの人って「何を着たらいいかわからない」
あるいは「何を着ようが興味はない」のです。
後者はおいておくとして、「何を着たらいいかわからない」場合は皆、
親しい友人なりお店の店員さんなり好みの雑誌なりに
多かれ少なかれ自分が何を着たらいいのかを教えてもらうことにしています。


お洒落な人は、自分が着たいものとか自分に似合うものとか、そういう所でなく、
「自分の着るべき服」がわかっているような気がしてなりません。
そしてその直感はおそらく、色んな服を見たり、実際に袖を通したりして得た
膨大な経験によって採集したデータをバックボーンとして導きだされています。


似合わないけど着たい服を選ぶのもいいですが、
他者から見た自分を引き立たせる服を選べる才能のことを、お洒落と呼ぶのではないでしょうか。



ブルワー・リットンの小説「ペラム」に、有名な『お洒落の心得22か条』がありますが
そのなかでもこう言われています。


◆服装は他者を魅了するものであって、自分を魅了するものではないということを常に覚えておくべきだ。 
◆男が完璧なドレッサーであるためには深遠なる計算が必要だ。 
◆服装の研究は何も若者に限った話ではない。誰であっても、服装の無頓着は無作法なのだ。


僕もほど遠い境地ですが、その地点は目指していたいと思います。





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