2013年1月21日月曜日

1/21 コジ再び

こんばんは、山野靖博です。
前回ブログを更新した日に降った雪が、
いまだ道ばたにちらほらと残っております。
次の火曜にはまた雪が降るかも、という話を聞きましたが本当でしょうか。
美しいから好きですが、面倒なのも事実。
せめて目で楽しく実害無し、という程度でいてくれればいいなと
ぼんやり思っております。


本日は、シンパティコ室内管弦楽団様の室内楽コンサート
「シンパティコ・チャンバー・プレイヤーズ 2013 演奏会」
に出演させていただきました。
コジファントゥッテの本当に美味しいところだけを選んで
演奏をされる、ということで、
僕はドンアルフォンソを歌ってきました。

会場は、さいたま芸術劇場小ホール。
本当にとても素晴らしい空間でした。
まず、建築の魅力に魅了されました。

 小ホールの客席からステージをのぞむ

小ホールは本来演劇用の空間なので、普段使っているような音楽ホールとは
また違った趣で面白かったです。
黒い舞台、というのがまず僕にとっては新鮮。
客席に比べ一番下に沈んだ舞台面というのも面白く、
なにより客席上に張り巡らされた移動用の吊り床や舞台奥の階段などなど
演劇上演を想定した作りのハコを、半ば興奮しながら探検しました。
音楽ホールのような響きはありませんでしたが、
アクトとしてオペラを捉えれば、しっかりと歌がお客様に届くだけの
音響はありましたから、歌っていても大きな不安は感じませんでした。
なによりお客様との距離が近く感じられる空間が大好きな僕ですので、
今日の公演は本当に楽しんで歌うことができました。
写真からも、客席とせり出し舞台の近さがおわかりいただけますでしょう?

 打ち上げにて。

筆不精、出不精、なおかつ輪をかけて写真不精の僕ですので
本日撮ったのはこの2枚のみ。
奥から
フェランド役 河野浩亮先輩
グリエルモ役 松井永太郎先輩
演出&語り  飯田惣一郎さん
2月にも同じメンバーでコジを上演致します。


ドンアルフォンソは昨年3月に仲間と上演したコジファントゥッテぶりに歌いました。
同じ役を2度やる、というのは初めての経験でしたが、
とても勉強になりました。
以前できなかったことができるようになったり、
以前見えなかったことがみえるようになったり。
“何度も舞台にのせて役を育てる、役に育ててもらう”
なんて話を聞いたことがありますが、なるほどこういうことかと、
その入り口に立ったような気分でありました。



さて、近頃のろのろと読んでいる本居宣長。
まだ始めも始めですが、心に留まった節があるので引用をば。
 
  医のわざをもて、産とすることは、いとつたなく、
  こゝろぎたなくして、ますらをのほいにもあらねども、
  おのれいさぎよからんとて、親先祖のあとを、
  心ともてそこなはんは、いよいよ道の意にあらず、
  力の及ばむかぎりは、産業を、まめやかにつとめて、
  家をすさめず、おとさざらんやうを、はかるべきものぞ、
  これのりなががこゝろ也
                 (「家のむかし物語」)

産、とは生業のこと。
ほい、は本意の意。

今からすれば大学者の宣長が“ますらをのほいにあらねども”といいつつ
“力の及ばむかぎりは、産業を、まめやかにつてめて”という。
それは何故かといえば“親先祖のあとを、心ともてそこなはんは、いよいよ道の意あらず”と。
“家をすさめず、おとさざらんようを、はかるべきものぞ”といって宣長は
小児科医を開業し、生計を立てます。
門下を大勢とるようになってからも“医のわざをもて、産とすること”は続き、
死の9日前までつけていた帳簿が残存しているようです。

宣長の学問と自らの学ぶところを重ねる、というのも憚られますが
しかし、宣長ほどの大家の心の始点に、こういう思いがあると知るのは
すこし胸に迫るものがあります。

なんと申しましょうか、僕には大層な「親先祖のあと」も
「荒んで困るような家」も持ち合わせが御座いませんが、
とはいえ、“心ともてそこなはん”と思い当たるような瞬間も
ひとつ思い浮かぶようになってきました。

歌のわざもて産と、が僕の心でありますが、
どうにもじっくり向き合う必要があるようですので、
はてそれまでは如何に、と。強く頭の真ん中に居座る問いであります。

考えるだけでは埒があきませんので、頭と身体を動かしますが、
心の芯では“本意”をみつめつつそれでも、“心もてそこなはん”時がくるのを
息をひそめて待っているのです。

yy

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