2012年9月30日日曜日

9/30 中秋の名月

こんばんは。山野靖博です。
今宵は中秋の名月というのに生憎の空模様。
台風というのだから仕方がないですね。
昨夜もその前も美しい月がみれたので良しとしましょうか。

それでもやはり“中秋の名月 ”にはどこか特別な思いがあります。
それもこれも井伏鱒二のいっぺんの詩が好きだから。
「逸題」 と題されたその詩のしっとりとした風景が好きです。


逸題

今宵は仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障繰りあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

今宵は仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障繰りあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

(新橋 よしの屋にて)


井伏鱒二の詩は、ユーモアに溢れているところが好きです。
それと生粋の酒飲みであるから、うまい酒の飲み方をしっている。
食卓の上の風景が目に浮かぶようです。

月と初恋を偲ぶとはおそらく口実みたいなもので
酒飲みというのはなにかと理由つけて盃をかたむけるのが粋というもの。
仲秋明月であるから初恋を偲ぶわけでなく、
酔い乍らいつも頭の片隅に私小説としての初恋は浮遊しているのだけど
今宵は格別格別ということでしょう。
とても趣のある2行につづき「われら万障繰りあはせ」とは
僕が思うにリズムよく口を衝いて出る決まり文句のようなもので
だから主人公はブツクサと独りで酒をのんでいる。

蛸ブツを塩、とはやはり酒が好きなんで
角打ちなんかで日本酒を呼吸のように飲んできた感じがします。
昼から家で飲んでいるか、もしくはすでに一軒まわってきたか
いずれにしろ酔いのまわって霞みのかかった脳みそには
臍のような蛸も一種の景色としてうつるのが可笑しく
けれどこれは誰しもが経験したことあることと思います。
姿勢を正し酒をつげば、その様子は一枚のストップモーションとなる。

なんてことを考えながら、思い出した折りにはこの詩を口ずさみますが
大概そういうときにはメランコリックになっていることが多いようです。
そして堂々とメランコリックになることができるのが毎年この日、
仲秋の明月の日、とは僕の中での決まり事。

新橋のよしの屋とは確かに実在したお店のようです。
詳しいことはわかりませが、いまもあるのでしょうか?

yy


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