最近、ふとしたきっかけで
「自分は何のために生きていきたいのか」と考えることがありました。
大学を出てからしばらくは、「どうやって食べていくのか」という問題に必死で
色んなことに手を出してみては失敗し、なんとかここまで食いつないでこれたのは
親の支援によるところが大きかったです。
このところ、ようやく自分のなかで日々生活をすることが落ち着いてきて、
その上であらためて「お前、どうやって生きていくねん」と考えてみると、
どうやって生きていくかという問いよりも、何のために生きたいのかという問いの方が、
自分のこれからを考えていくのに相応しい気がしたのです。
近頃は経済面や社会面の情報に興味を持ちながら生活しています、みたいなポストを
先週書きましたけど、僕にとってこれは大きな変化で、
高校から大学出て1年ぐらいの期間はずっと「音楽家としてどうやって生きていくか」が
僕にとっての最大にして唯一の問題だったのです。
だから、「音楽家はなぜ食えないのか」とか「日本の音楽界のシステムのどこが悪いのか」とか
そういうことばっかり考えてました。
あるいは、演奏家としての自分のブランディングとか。
演奏家として上手くなる、という命題にも、なんだか余裕無くゴリゴリ気味で向き合っていたし。
けれど、僕が世界を見る視点が「演奏家」から「教養を学ぶ人」に変わった瞬間に、
音楽界や演奏家を取り巻いている環境に対して感じる切迫感も、
自分のキャリアプランに対する焦燥感や強迫観念もすーっと弱くなって、
もっとシンプルに「自分は何のために生きていくのか」という命題に
視点が定まった感じがするのです。
そこで、考えてみたのです。
僕は、何のために生きていきたいのか
僕が生きていく、そのモチベーションは何だ
出てきた答えは、前から考えてきたことでしたけれど、
あらためて自分にとって大事な答えなんだと認識しました。
僕は、山梨の文化活性化のために生きていきたい。
僕は、日本のクラシック音楽演奏家の収入モデルをよりよくするために生きていきたい。
これが答えでした。
★
僕の卒業した高校は、山梨の中では進学校と言われているけれど、
全国的にはどうってことのない、普通科の高校です。
確かに優秀な人材はたくさんいましたが、かといって世界の名門大学に
入学者をジャンジャカ輩出しているとかではありません。
もちろん普通科だけで、音楽科や美術科が併設されていたりもしません。
そんな高校ですが、僕が芸大に入学してからこっち、
毎年芸大を目指して受験をする生徒がいるようなのです。
実際にここ8年ぐらいは、平均して1年に1人ぐらい
僕の高校から芸大へ入学者が出ている計算になります。
今年の受験にチャレンジする後輩も数人いるようです。
彼らが無事に大学を卒業して、社会に出て、あるいは世界に出て、
どこかのタイミングで「あ、山梨で演奏したいな」と思ったときを考えてみると、
僕はちょっとだけ暗い気持ちになります。
山梨で演奏会をするのは、それもクラシック一色のリサイタルをするのは、とても大変だからです。
音楽会を聞きにいく、それもある程度のお金を払って聞きにいくという文化が、
山梨にはあまりありません。
仮に、山梨出身の優秀な演奏家がたくさん出てきたとしても、
彼ら全員が、たとえば年間の生活費の半分でも稼げるような音楽市場は、
山梨にはありません。
これをどうにかしたい。
ある地域に属する演奏家の数が増えていった時に、
その地域で音楽を聴く人口が増えなければ、演奏家は演奏を辞めるしかないです。
だから、音楽を聴く人口を増やしたいと、心から思うのです。
もしかしたら、演奏会のチケットを買うような金銭的余裕のある家庭が
山梨には少ないのかもしれません。
だとしたら、山梨の経済活動から変えていかなければならない問題です。
演奏家がいいパフォーマンスをすることは前提ですが、
演奏家のいいパフォーマンスだけでは山梨の文化レベルの向上には繋がらないのです。
僕はようやく、このポイントに気付きはじめました。
★
この山梨での現象は、規模の大小はあれど、日本のほかの都市はもちろん東京でも起きていることだと思います。
演奏会に足を運ぶ人口は減っているか平行線を辿っているのに、
演奏家の人数は増えている、それも本当に優秀な演奏家が増えている。
つまり、優秀だけれど音楽では食べられない演奏家が増えている、ということです。
より高い専門性を持ったプロフェッショナルが、その専門分野で食べれないからという理由で、
レストランで皿洗いをしたり、電車で栗を運んだりしているのです。(栗運びというバイトが本当にある。)
彼らの専門性を集めて、なにか新しい収入モデルを作ることができないだろうかと、
考えています。考えあぐねています。
なんとか食べていける程度の収入、ではなくって、
1ヶ月間オペラの稽古に拘束されても痛くも痒くもないくらいのキャッシュフローを生み出すモデル。
このふたつの問題をもし解決できたとしたら、僕自身も救われるところがあるのです。
ということで、これからこの問題にこだわって生きていきたいと思います。
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