2014年6月25日水曜日

みんなで頑張れるというのがいちばんいいと思う、という話






昨日(日付的には一昨日)は“ファッション業界に衝撃を”“Creator For Fashion Creators”
を旗印に結成された企画団体FUCTORY(http://fuctory-tokyo.com/)の代表の斉藤隼介さんに、
今日(日付的には昨日)は高校時代の友人で、今はデザイナーを目指してファッション業界にいる友人と会ってきました。


2日続けてファッション業界の人と話するなんて普段はなかなか無い機会なので
興味深い話を聞けてめちゃくちゃ面白かったです。



僕自身はファッションに対して長らくある種の恐怖を感じていました。
「僕はセンスないからファッションはわからない」という例のアレ。
そういう思いを抱えている人ってけっこう多いと思います。

自分が何を着るべきかという指針が自分のなかにないから、ハイファッションに対して攻撃的になってしまうとか、
ファッションに対する理解に自信がないから、流行について斜に構えてしまうとか。

僕もそういう卑屈な感情を、小学生ぐらいからずーっと抱いて育ってきました。
「センスのいい着こなしなんて、ウチには金ないし僕には美的感覚ないし無理」みたいな
ちょっと陳ねたような感覚が、ファッションについて考える時に常についてまわっていました。



僕自身は数年前に「ワードローブをスーツにしちゃえ」という一種の逃げのような戦法をとってからというもの
自分の身体に合ったテーラードスーツを着ているという小さな自信を持てたので、
それまでの鬱屈した感情から脱却して、ファッションの面白さにちょっとずつ目を向けることができるようになった気がします。




この辺、ファッション業界とクラシック音楽業界って似ているなと昨日今日で感じました。


どちらも、芸術という側面と消費物という側面を持っていて、
どちらも、常に新しいクリエイションを求めるという営みを持っています。
そして、現代に於いてどちらも商業的に苦しんでいて
「昔はよかった」という懐古的な勢力と「このままじゃいかん」というアバンギャルドな勢力が混在しています。
そして、どちらも多くの一般消費者から「わかんないからなんとなくコワい」という思いを抱かれている。




僕自身はクラシック音楽畑の人間なので、クラシックだって消費されてなんぼだと思うし、
「わかる・わからない」の軸は全く意味がなくて
「すき・きらい」か「楽しい・楽しくない」の観点でみてくれたらいいのにーと強く思っていました。
ファッション畑の人も同じこと考えてたんですね。






同世代のクリエイターや面白い人物に会った時に思うのは、
「こういう人たちと自分のやりたいことが呼応してお互いにいい影響を与え合えたらいいな」
ということです。

ほとんどの場合、相手からはすでにいい影響を与えてもらっているので、
問題は僕から彼らに向けてなにかエキサイティングな波動を送れているかどうかなんですけど。


面白いことをやったり、面白い景色を目指したりしている人ってやっぱりエネルギーがあるし、
そういうエネルギーが世界に充満していくことって、僕にとってはとても幸せな光景なのです。


できることならば、僕が拡声器になって、あるいはスポークスマンになって、
なるべく多くの人に彼らのような取り組みを紹介できたらいいなと思っています。
それぐらいに拡散力のある人物になっていくことが、僕のひとつの目標でもあります。




それぞれは別のことをやっていても、なんとなくお互いの志にはシンパシーを感じていて
みんなで一緒に頑張って大きくなっていけたらいいなと、本当に思うのです。
だって、自分の身の回りを見渡すだけでも、スゴい人っていっぱいいるんですもの。



自分一人がリッチになるために競争に勝っていく。
そういう考えも必要かとも思いますが、もしかしたらそれって産業時代の考え方なんじゃないかなって感じるのです。

情報時代となったいま、シェアという概念も非常にポピュラーになってきて、
クラウドファンディングやベンチャーキャピタル的な発想が違和感無く根付いています。
そんなこれからの時代は“異文化間のつながり”という言葉がひとつ、キーワードになるのじゃないかななどと考えています。






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