2014年4月23日水曜日
より良い発想にはより平凡な環境が必要だ、という話
https://tyottoku.blogspot.com/2014/04/blog-post_4144.html?m=0より良い発想にはより平凡な環境が必要だ、という話
引っ越し後でドタバタしている毎日です。
段ボールもまだ片付けきれていません。
以前の部屋より少々広くなったので、そのぶん家具も変えちゃおうと思って
いろいろ発注しているんですけど、配達日が意外と先だったりして。
つまりしまう場所のないものたちがいまだ段ボール箱のなかに鎮座しているのです。
とりあえずキッチンまわりだけでも整頓したいと思うのだけれど、
たくさんの調味料を収納するにふさわしい場所がなくて
それゆえ作業台が浸食されてちょっと手狭になっています。
日々の作業のもろもろと仕事とのバランスもまだ手探りで調整中ということもありますが、
どうにも最近、自分の発想が貧相だなーと感じることが少なくありません。
カーテン注文したりとか、オーブンレンジはどれにしようかとか考えているのも
とても楽しくていいんですけれど、なんか違うな、と。
世間を賑わすニュースに対してもどこか遠くの出来事のような気がして、
その裏にある社会の仕組みみたいなのもなんとなく感じるは感じるのだけれど
それについて別段言及しようとも思わない、というか。
どうも、生活の色々に係っているときって、そのことに発想のリソースが持っていかれて
ちょっとドキッとするような思いつきとかが出てきにくい感じがします。
もちろん毎日を過ごすにあたって目の前に立ちはだかる問題の数々は
生活するためには必要な事柄たちなんだけれど、それだけをこなしているのはつまらないというか。
で、この状況を打開するのに一番いい方法は、じつは
生活の状況をまず整えること、だったりするんですよね。
もっともベーシックで単調な生活って、
毎日仕事や勉強をして、必要な買い物に行って、必要な食事を作って食べて、
排泄や入浴を済ませ、そして寝る、というこれだけだと思うのです。
そのなかでリズムを作っていって、日々の生活をわざわざ考えなくてもいいくらいに平凡かしていく。
そうすると、考えずに生活をすることと平行して、もっと他のことを考えられるようになる。
脳みそのリソースが生活に注ぎ込まれていると、面白いことは思いつきにくいようです。
だからやっぱり、生活を整えることに一所懸命な今は、
もしかしたら僕にとってすごく非生産的な時間なのかも知れません。
はやく諸々片付けたいな、と思っているけれど、
なかなか上手くはいきませんね。
来月末ぐらいまでは今の状況が続きそうです。(家具が届かないのだ)
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