2014年4月30日水曜日
旧世代の住人と同居するために僕たちが身につけるべきなのは教養だ、という話
https://tyottoku.blogspot.com/2014/04/blog-post_30.html?m=0旧世代の住人と同居するために僕たちが身につけるべきなのは教養だ、という話
ちょっとデリケートな話ですが現実的な問題として、
世間にはイノベーションを受け入れることを好まない人が必ずいます。
歴史を振り返っても明らかですが、多くの争いは
革新派と保守派のあいだで起こってきました。
争い、とまでいかなくとも、イノベーションをポジティヴに受け入れる人と
ネガティヴに受けとる人とは、なかなか価値観を共有できなかったりします。
イノベーションを好まない人は、新しい価値観や技術を嫌っているわけではなく
また、明確な理由を持って革新を批判しているわけではなく、
「以前までの価値観とはそぐわないから」というだけでそれを自分から遠ざけたがるようなところがあります。
いつまでも旧世代的な世界に所属しているのが安心なわけです。
人間は変化を嫌がる、という心理を持っていますからね。
面白いのは、そういった「旧世代的な世界にいれば盲目的に安心できちゃう人」は
年齢に関係なく存在している、ということです。
中年初老の歳でもさまざまなイノベーションを積極的に取り入れていく人もいれば、
僕と同世代でも旧世代の住人と同じ振る舞いや待遇を望む人もいます。
さて、積極的にイノベーションを取り入れる人や
または自らも何かをイノベートしたいと奮闘している人は、
旧世代の住人たちを疎むタイミングがあるはずです。
自分たちの目指す地点へ物事が進むことを、いちばん阻害するのは旧世代の住民ですから。
けれど、より大きく新しい流れを生み出したいと思った時には、
彼らを疎んでばかりいられません。愚痴を言ってもなにもはじまらないからです。
それどころか、彼らの力が必要な時もあるのです。
ここで、ひとつ大きな誤りが生まれるポイントがあります。
イノベーションを積極的に受け入れる人が、
「イノベーションこそ唯一の正義」と“信じている”と、
それは盲目的な旧世代の住民と同じことになってしまうのです。
常にこういう考え方を忘れないことです。
これまでのやり方やあり方にも多く素晴しいところがあるように、
新しいやり方やあり方にも素晴しいところがある、というだけだ。
どちらかが全面的に優れているわけではなく、どちらかが全面的に劣っているわけでもない。
こういう時の“信じる”という心の動きは厄介です。
本当に有益なものや本当に有害なものを見誤らせることがあるからです。
僕は、イノベーションを積極的に受け入れることに楽しさを感じています。
いままででは自分ひとりではできなかったことがテクノロジーを使えばできるようになる、とか
会社に勤めて年功序列・終身雇用のなかで働く以外の生き方が生まれてきた、とか
そういった事柄が僕のライフスタイルを刺激的でありながら落ち着いたものにしてくれています。
かといって、旧世代の価値観をすべて否定するわけではありません。
歴史に淘汰されてきたノウハウや考え方、儀式や習慣というものの美しさ・尊さには
やっぱり胸を打たれ心を揺さぶられます。
けれど、歴史に淘汰された、ほどには言えない「前時代の考え方」には懐疑的です。
特に戦後生まれた習慣や価値観、社会のあり方というものは、
多くこのタイミングで革新されるべきなのではないかな、と考えています。
しかし、その価値観や社会を素晴しいものとして考えている人々がいるのも事実なのです。
彼らを自分の人生から排除することは可能かもしれませんが、簡単ではありません。
そんなことをしようと思ったら、村上龍の「希望の国のエクソダス」のように
どこかに新しい国を作らなければならなくなります。
イノベーションを受け入れ生み出しながら、旧世代の住人とも共存することが必要です。
特に、僕の属す「日本のクラシック音楽の世界」には、無批判に旧世代の習慣を良しとする傾向があるからです。
共存のためには、なにが必要でしょうか。
僕は、それは「教養」だと思っています。
なぜそう思い当たるのかと言うと、僕に圧倒的に足りていないのが教養だからです。
教養とはつまり、すぐには役に立たない知識のこと。
教養の最たるものが歴史です。これまで人類はどうやって歩んできたのか。
あらゆる時代、あらゆる土地で何が起きてきたのか。
僕たちの今の生き方に、そこから継承されている事柄がどれだけあるのか。
そういうことを僕は知らなすぎます。
たとえばいまの僕が旧世代の住民を批判しようとすると、
イノベーションを良しと思っている視点からしか批判することができません。
けれど僕が教養をたっぷりと持ち、歴史の流れや、あるいは戦後の日本の動向、
この国の宗教観や行動形式、美意識といったことにちゃんと気を配り敬意を払い、
その上でいま新しく生まれた技術や考え方がどれだけ有益なのかを話すことができれば
もしかしたら相手の心を動かすことができるかもしれません。
新しい世界に踏み出したいと思う人は、柔軟で軽やかなフットワークを持つ人です。
でも、そういった人が旧世代の住民からの批難を受けつづけると
頭が固く視野が狭く、ただ前に進みたいだけの危険な弾丸となってしまうことがあります。
そうならないためにも、旧世代の住人の振る舞いの根拠を理解する必要があります。
そして、それには教養を持つことが必要不可欠なのです。おそらく。
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