寒い日が続きますね。
それでも春の予感はすぐそこまで近づいていて、
草木のつぼみや料理の食材は
すでにあたたかな風を思い起こさせます。
料理を好きになったのは、いつからだろうと考えていました。
かなりのテレビっ子で、料理番組を喜んで見てたというのも要因だろうし、
寂しがりやな子供で、母の台所仕事の横について
にんじんの切れ端やピーマンのかけらをよくつまみ食いさせてもらってたというのも
理由のひとつのような気がします。
初めて自分一人で料理をしたのは小学校中学年ぐらいのときで、
一人で留守番をしながら帰ってくる母のために作った
サラダスパゲッティがそれだったと思います。
このときの料理が “あまりにも不味くて”!
その事実がショックで料理をするようになったのではないかなぁ。
頭の中のイメージでは完璧な美味しいもののはずだったから。
最初の料理の教科書は、母が集めていた栗原はるみさんのレシピで、
それにテレビの料理番組や情報番組で得た知識をプラスして
自分でごにょごにょといろんなものを作っていました。
「たれの研究」とかいって、家にある調味料を片っ端から混ぜ合わせてみたりとか。
見つからないように、と思って家族がいないときを見計らってやってましたが、
おそらくバレてはいたと思う。でも怒られた記憶はないです。
自転車に乗れるようになって自分の行動範囲が広がって、
ひとりで少し遠くの大型書店まで行けるようになると
料理書のところにいって気になるものを立ち読みしたりして。
“美しくて美味しい料理”は、ひとつの憧れだったのだと思います。
高校に入って辰巳芳子さんという方の存在を知り、
丁寧な仕事の重要さを学び、
槇村さとるの「おいしい関係」を読んでフレンチの技法に憧れ、
声楽を始めてからイタリア料理に興味を持ち、
気になること、好きなものに触れつづけていたら、
以前よりもさらに食に関する諸々を好きになっていました。
「食べること」は三大欲求のひとつともいわれ、
生命の維持に深く関わる、生き物にとって根源的な活動のひとつです。
しかし、単なるエネルギーの補給にとどまらず、
さまざまな地域社会で食は多様な文化として発展しました。
僕にとって食べることは“空腹を満たすだけ”のことではありません。
知的好奇心の対象でもあるし、喜びの源でもあり、
身近にあるハレの機会でもあれば、人を喜ばすための方法のひとつでもあります。
おいしいものを作り上げる人は無条件で尊敬しています。
二郎は鮨の夢を見る
監督 デイビット・ゲルブ出演 小野二郎
小野禎一
なんだか、映画レヴューのブログと化してきたような感じもしますが苦笑
まぁ、僕にとってのちょっと特別な時間は、まさしく映画ですから
これもよしとしましょう。
ミシュランの善悪については、僕は語るべき言葉を持ち合わせていません。
でも、世界の権威に認められるなんて、すごいことでしょう?
尤も二郎さんの本を紐解きこの映画を見れば、
ミシュランなんて関係なく、この人はすごいんだということが理解できます。
映画はドキュメンタリーで、それも、ごくごく淡々とした運びです。
アメリカのドキュメンタリーといえば途中で何か事件が起きたり
アクシデントが起きたり、被写体が激怒する様子が映されたり、といったような
イメージがあるのですが、そんなものは一切ない。
鮨職人たちのじっくりとした仕事が最後まで映されていきます。
ともすれば単調な物語です。物語に派手な仕掛けは一切ありません。
映像は演出をしてきます。凹レンズ凸レンズ厚みのあるレンズ。
それとは関係なく、ひしひしと伝わってくるドラマがあります。
職人の仕事とはこういうことかと。真面目すぎてときに滑稽に思えるほど。
地下。銀座のはずれ。カウンターのみ。完全予約。ひとり3万円から。
おしながきは“握りおまかせ”だけ。
これは間違いなく、客を選ぶ店です。
自らの手仕事に対する職人の真剣さがそうさせるのでしょう。
———酒を飲んでつまみを食べて、それから握りとなると4,5貫が精一杯でしょ
でも始めから握りだけなら20貫はいけちゃう
だから、握りのおまかせにしぼっていると語る翁。
選択肢を狭めるからこそ到達のできる深淵、まさに。
———水商売をいやだなと思ったことは一度もないです
この仕事に惚れて惚れてやってますから
彼が何気なく放つ“水商売”という言葉に驚愕しました。
そうか、彼の鮨は芸術でも音楽でも人生でもなく、仕事なのだなと。
鮨という生き方なのだなと。だから水商売とてらいもなく言えてしまう。
———もう4コーナーまわっちゃってるかな
辞めようとは思わないですか?という質問は作品中なんども繰り返されるが、
辞めようと思ったことはないな、と答えてすぐに、でも・・・と続けた一言。
けれど二郎さんの目は笑っていて、自分はゴールが近いだなんて全く思ってないと丸見え。
もしかしたらまだ向正面ぐらいを走ってるつもりなのではないかな。
本編の中ごろ、マグロ仲買人の藤田浩毅さんが出ます。
彼もかなりアウトローな道を、ポリシーを持って極めようという人物。
彼の仕事が注目されたのはまさしく二郎さんとの付き合いからと聞きました。
理屈じゃなく既成概念でもなく、自分の目と舌で確かめて旨ければ
それこそ一番じゃないかというところからふたりともスタートしているから
生まれた出会いなのだろうなと思います。
小肌ひとつとってもその厚さと大きさによって塩の加減、酢〆の塩梅は違う。
穴子の腹の膜にしてもそれを除くのに一番な瞬間がある。
蛸の煮方、卵の焼き方、シャリの炊き方、煮きりの具合。
それぞれにそれぞれの適当があって、それは全て握ったときに
最高の味になるように計算されている。
食べずとも触らずとも、画面の映像でわかる、ねっとりとした赤身の熟成感。
仕事とは、こういうことだよなぁと、自分に置き換えて観ていました。
おそらく小野二郎という人物にとって、鮨とは、仕事とは、すでに癖(へき)です。
寝ても覚めても、旨いとはなにかと考えているのです。
きっと二郎さんには、世界のからくりが見えています。
自らと鮨、その対峙の生む波紋こそが彼にとっての世界だからです。
yy
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