2013年4月17日水曜日

4/17 チョコレート考


世の中には数多のお菓子がありますが、
その中でも僕が最も好きなのはチョコレートです。
甘いものは全般好きで、和菓子も洋菓子も分け隔てなく愛していますが、
それもチョコレートへの憧憬を思えば、他の菓子たちの魅力では太刀打ちできません。
600円のケーキや400円の上生菓子には躊躇を覚えるのに、
気になる2000円の板チョコはこともなげに購います。
生活経費をやりくりしては、時たま贅沢なチョコレートを買うのが
なによりも楽しい瞬間です。

同じことがワインにも言えますが、
さすがにワインはいつでも楽しめるというわけではないですから。
それに比べてチョコレートは稽古の前だろうが仕事の合間だろうが、
幸せの訪れる時間と場所とシチュエーションを選びません。

生来僕は身体の弱さで不自由をしたことはなく、
視力聴覚嗅覚それぞれ、飛び抜けて優れているわけではないけれど悪いところもなく
肩こり腰痛は覚えたことはないし、大病で入院したということもありません。
唯一入院の経験があるのは肺気胸に罹った高校時代ですがそれも今は大したこともなく、
困るのは身長と体重のバランスの悪さからくる“痩せ過ぎ”の体型ですが、
これもそれによって日常の生活にほとほと困ったことがあるという代物でもないので、
せめて標準体型まではいきたいなとは考えつつも、思い詰めるほどではありません。
平凡ぐらいに強い身体に産んでくれた親に感謝のかぎりですが、
そんななかひとつだけどうにもならないことがあります。

歯の質が原因なのか生活習慣が悪いのか、虫歯には滅法弱いのです。

小学生の頃から歯科検診にひっかかる常套患者でしたし、
3ヶ月に1度は定期検診を受けるようにした今でも
いつまた虫歯という診断をくだされるのだろうとビクビクしながら診察椅子に背を預けます。
恥ずかしいかぎりですが口を開ければ奥歯は銀色に光っていて、
いっそ全て義歯になっても差し障りがないくらいに歯科技術が進歩してくれないかと
心の隅でうっすら祈るようになりました。

甘いものと虫歯は切っても切れない存在とはよく知りながら、
幼い頃歯医者の待合室にあるポスターや絵本で目にした
子供の口の中のチョコレートの欠片をさも美味しそうに食べる虫歯菌の顔を思い浮かべて、
嗚呼憎たらしいなどと歯痒く感じつつ、それでもやめられないのがチョコレート。

カカオは“神の食べ物”と呼ばれますがなるほど、
天上の調べをちらと耳にしたばかりに音楽の呪縛から逃げられないのと同様に、
神聖なる食卓にあがる神ための果実のひとしずくを体験したのちに
それを忘れるなどという離れ業を身につけるとは、業深き僕には到底無理な相談。
などと大仰なレトリックで愚かさを煙に撒きながら、今日もチョコレートを食べるのです。


どんなチョコレートが好きかと問われば、どんなチョコレートも好きだよと答えます。
国産の板チョコレートも、ヨーロッパのチョコレートバーも、
アメリカのチョコレートソースも、ハイブランドのボンボン・ショコラも、
母が出してくれたココアも、祖母がくれたアルファベットチョコレートも。
それでも特になにが、といわれれば、僕は断然板チョコレートと答えます。
タブレットとかカレとか言ったりもしますが、ビターに近い板状のそれが、
僕はなにより好きです。

いろんな詰め物をしたボンボンはいまや宝石の如き扱いで
各ショコラティエの腕と感性の見せ所と高級チョコレートの代名詞ともなっていますが、
はじめは苦い飲み物だったチョコレートが
滑らかな口溶けでえも言われぬ芳香を持ち合わせた魅力的な食べ物となれたからこそ
今日のチョコレートの多様性を獲得できたわけで、
そんな歴史を紡ぎだしてくれたジョセフ・フライをはじめ、
キャドバリー兄弟、ネスレ翁、そして偉大なる発明家ロドルフ・リンツ氏の業績を思いながら
僕はなにをおいてもまずは、板チョコを食べるのです。

どこのチョコレートが美味しいとか、どのショコラティエが素晴らしいとかいうのは
全く個人の嗜好なのであって、グランメゾンのタブレットも明治のミルクチョコレートも
僕たちに幸福な時間を与えてくれるという点に於いてはどこまでも同等です。
だから僕はどんなチョコレートも愛しています。

チョコレートはデリケートな食べ物だから、温度と湿度の管理をしっかりして、
他の匂いがつかないようにして、食べる時は何度であると最も良くて・・・
という詳しいことはあまり気にせずにいますが、
冷蔵庫の片隅に保存の場所だけは確保しています。

一人暮らし用のそれほど大きくない冷蔵庫の1/6ほどのスペースを占めるのが
野田琺瑯の保存容器。
シンプルなデザインと品質の高さはまさに逸品で、
買ってきた板チョコはこれに詰め込んで保存しておくことにしています。
まさしくチョコレートだけのスペース。
ちなみに今僕の手元にあるのは、

 ・リンツのエクセレンス99%カカオ
 ・コートドールのタブレット ノアーデノアー
 ・マリベルのピンナップバー ダーク(これが絶品!)
 ・ガーナチョコレート ブラック
 ・明治ブラックチョコレート

僕、思うんですけどね、ワインセラーと同じように、
家庭用のチョコレートセラーを売り出したらそれなりの需要があるのではないかとね。


甘いお菓子は嗜好品。ワインも煙草もテディベアも、
生命の維持にはなくても全くと言っていいほど困らない代物たち。
それでも彼らはそれを愛する人たちに、ささやかなる幸せを与えてくれます。
僕は煙草を喫まないけれど、テディベアも持っていないけれど、
世の中にはそれに癒される人たちも当然いるわけですから、なんと尊い存在でしょう。
僕ら歌い手だって同じですね。過ぎていく時を少しだけ華やかにデコレートするために
世界のなかにその居場所を与えられているのですもの。

yy



































































少しだけ文章を書きます。
独立したトピックとして更新しようかとも考えましたが、
それは少しだけ気恥ずかしい、でも人目に触れる可能性のあるところに
山野靖博としてそれ提示してみたいと考え、ここに記すことにします。


 村上春樹について。


 大々的なニュースになっていたように、村上春樹の新作長編小説が先週出版された。僕は本を読むのが好きだが、多読というほどでもなくむしろ偏読で自分の本棚に置いてある両手で数えられるほどの作家たちの3桁にも及ばない蔵書を、繰り返し繰り返し読むことを好む。
 そこに置いてある本の著者の多くはもうすでに死んでいるため(ある人は紀元前に、またある人は戦争で)、今頃新刊が出るというのもあまりない。まだ生きていてバリバリ作品を発表している人もいるけれど、かといって新しい本が出れば必ずそれを手元に置くかといえばそういうこともなく、なぜならば現在の蔵書は高校時代や大学の寮生活時代に購入したたくさんの本の山から余計なものをかなり削って作られた共同体なので、そこへ新しく仲間入りするには僕自身のそれなりに高い心的ハードルを越えてもらわなければならないからだ。それは隔離された環境で限定的に発達した生態系に似ている。もちろん、彼らは本だから何かの拍子にそこへ外来種が紛れ込んだからといって、ゴシップ雑誌にポール・オースターが補食されるというわけでもないのだが。
 そういった状態の本棚は僕にとって、一種の精神的ユートピアの役割を担っている。そして、それを構成する要素のおよそ1/3が村上春樹の著書だ。

 僕が初めて彼の本を読んだのは高校3年のとき。その当時僕の周りでは少しばかり厄介な事件が持ち上がっていて、尚且つたまたまそれについて責任のあるポジションに僕がいたため、しばらくの間校長室や職員室で先生方と話をするという日々があった。今思い返してみればそこで持ち上がっていた問題自体は笑ってしまうような事柄なのだけれど、それに派生して起きたもうひとつの事件は今振り返っても僕の心に微かなひっかかりを与える。数日の間、親友と連絡が取れなかったのだ。誰も。親もどんな友人も。もちろん先生方も。蓋を開けてみたら1週間も経たずに彼の顔を見ることができたのだけれど、渦中の時は悠長なことも言っていられない。どこへいったのか、なにをしているのか、生きているのか死んでいるのか、何もわからない。心配を通り越して僕は不思議だった。彼はいったい何を考えているのだ。こんな時にいなくなる必要がないじゃないか。あるいはこんなときだからこそいなくなる必要があったのだろうか。いなくなるとしたらどこへ。自ら進んで死ぬわけはないという確信はあったけれど、かといって生きているという確信もなかった。思いもよらぬ事故にあっている可能性だってないわけじゃない。あれこれ考えたところであることを思い出した。それが起きる数週間前から彼は僕にある本を薦めはじめたのだ。ぜひ読め、と。それが『海辺のカフカ』という本だった。


 村上春樹が好きだという人もいるし、どうしても村上春樹だけは受け付けないという人もいる。興味がないから本に触れたこともないという人もいる。僕は村上春樹が好きだ。彼の紡ぐ文章のかたちが好きだ。村上春樹を嫌いだという人は何が嫌いなんだろうか。特徴的な言い回し、唐突な比喩、性的な描写、題材の突飛さ、あるいはテーマの凡庸さ。では反対に、村上春樹が好きだという人は何が好きなのだろうか。個性的な文体、言葉を並べる感性、刺激的なメタファー、セクシュアルな事柄の扱い方、主題の普遍性。つまりは、愛憎とは表裏一体なのかもしれない。
 村上春樹の文章を読む時、僕は常に“哲学の文章”の存在を何処かに感じてきた。彼が扱っているのは哲学の文章なのではないかとずっと感じてきた。決して、哲学的だ、という意味ではない。哲学とはなにかとここで仔細に説明するつもりはないが、存在について考えるということに尽きる。そしてそこでは常に“死とは何か”という問題にぶち当たる。そういう非常に限定的な範囲でなにかを知るために、人類は連綿と哲学の文章を綴ってきた。相当数はその人生の中で哲学の文章を必要とすることはないという事実と同等に、一定数の人間が哲学の文章を欲するということもまた真実である。なにもそれは哲学書の体裁を持っていなくてもよい。ある時代では歌の姿で現れ、ある場所では戯曲の形を取り、近代評論の父と呼ばれる人物の軌跡として表出する場合もあれば、当然現代に於いて小説という入れ物によって差し出されることだってあり得るのだ。

 村上春樹の文章は喪失と再生を縦糸、平凡さの持つ特異性と弱さ故のタフネスとを横糸として、ある人物のフォークロアの一片として編み上げられる。主人公たちはある場合では特殊な能力を持たされるが、俯瞰してみれば彼らは僕らの住む街角にもいるようなごくごく普通の人々だ。少なくとも、有名な伝記映画作家が突然彼らのところへ押し掛けてきて、この度はぜひあなたの半生を映画化したいのです、と抜け出しにいいだすほどにドラマティックでわかりやすいストーリーを持つような人間ではない。どこまでも平凡なディテールと、僕らの誰もがそれぞれに持ち合わせる類いの些細な特質の積み重ねを以て、劇を上演する舞台がこしらえられる。そして、平凡な日常にアクシデントが発生する。主人公は多くその事件に望むとも望まざるとも巻き込まれていく。選択の余地はほとんどないが、全ての選択権を実は与えられている。嫌が応にも新しいフェーズへ押し出されながら、それでも留まることや逃げること、その事件からドロップアウトすることはしない。あるときは決意として、またある時は諦めとして、彼らは(時には彼女らは)やってくる明日を受け入れていく。
 ひとつの主題は、傷つけることだ。他人を、友人を、恋人を、自分を。そして同様に傷つけられる。両親に、他人に、恋人に、友人に、自分に。もしも人間のイデアがあるとしたならば、その無傷さをより完全に近い形でトレースした存在は、産み落とされたばかりの赤ん坊だろう。つるりとした柔らかい肌。その存在が成長するとともに、這い回り立ち上がり歩き回りモノと触れあい、少しずつ傷を負っていく。時には深く、時には浅く。痛みを伴う傷もあれば、どこでついたのかまったく記憶にない傷もある。血を滴らせる傷もあれば、乾燥して肉の断面だけを露呈する傷もある。傷がひとつ増えるということは、傷のなかった自分を失うということだ。左頬に傷を受けたのなら、ある瞬間に毎朝対面する自分の顔に適応せざるをえないし、右腕を失ったのならば、左腕だけでサンドイッチを切る方法を身につけていくのだろう。言うなればそれが人間の強さであり、それはその存在の流動性というある種脆弱な基盤によって成り立っている。
 ストーリーテリングの巧みさはいうまでもない。それは長編小説でも、短編小説でも、エッセイでも、存分に発揮されている。題材の鮮やかさも素晴らしい。いくつかは古典的な思考問題に依り、あるいは神話や戯曲にアイディアを発していることもある。執拗に繰り返されるモチーフは音楽と食べること酒と泳ぐこと。これは著者の嗜好に深く起因している。アイデンティティの発露といってもいいかもしれない。尤もそれは当然意図的に持ち出されているモチーフだ。粗野な登場人物はいない。誰もが不器用であったり欠点を持っていたりするが(当然)、一様にあるレヴェルまではソフィスティケートされている。物語を巧く語ろうという意図は一切見えない。もちろん文章のプロフェッショナルとして読まれるに値するまでの技術は注ぎ込まれている。けれどもその技術の動機は、より正しい場所により正しい言葉を置きたい、それに尽きるのではないか。正しい、というのは心地がいいということだ。心地のいい文章をどこまでもつなげるために、彼の指はキーボードをタイプする。そしてその心地よさは彼のためにではなく、僕らのために用意されたものだ。ある種の人間は、村上春樹の用意した文体によって、文章によって、そこに創作された物語によって、言葉にならない心地よさを感じる。彼は文字を媒体として僕らに生体反応まで起こさせる。時には笑いとして、時には涙として、時には勃起として、時には胸の震えとして。


 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。これが新刊のタイトルだ。そこでは死が語られ、失われたものが語られ、救いが語られる。文章はより削ぎ落された印象があり、とても簡潔で装飾がない。それが手に入ろうが入るまいが希望を求めることが大事なのであって、たとえ与えられた時に仮に致命的なまでにそれが損なわれていたとしてもその欲求こそ生きることの意味なのだからまったく関係がないのだ、という大きなテーマが、堂々と描かれている。そして、僕の記憶では初めて、哲学というセンテンスが灰田という二人の青年の存在を借りてそのままの形で登場した。このことに僕はとても驚いた。
 僕が考えるに、哲学とは愛である。存在をそのまま受け入れるということと、死について考えるということと、愛とは、全て同義である。ソクラテスのいうエロスがまさにこれ。そんなに難しいことではなくて、どうして今僕はこうあるのだろう、という問いこそがまさしくそれ。灰田とつくるはその地点から、若さの内包する虚無感を眺める。だからこそ、まさにその性質を持っていたというその点に於いて、多崎つくるは死を自ら選ぶことはなかった。死を望みはしたが、死を選ぶことはしなかった。死ぬ勇気がなかったといえば弱さかもしれないが、自ら選び取る死の矛盾を知っていたとすればこれはまさしく強さである。
 そして悪魔の登場。ある種のダイモーンだと推測される。あるいは真理とも呼べる。緑川と名乗るピアニストによってその存在は語られ、ふたりの灰田青年を経由して、その物語はつくるの前に提示される。悪魔に“なる”ためにはあるポイントを越える必要があって、けれどもそれがどこにあるのかどんな姿形をしているのかは説明されない。つまり、それを理解するには悪魔であることが必要だし、悪魔になるのならばすでにその説明は不要となる。“おおよそ説明せずに理解されないことは、説明をしても理解されないのだ”。
 ある現象を複数の人間が語れば、その虚像は完全に重なることはない。事件は藪の中。僕らはそれぞれにそれぞれを生きるしかないのであって、僕は僕のヴァージョンの世界を持っているし、君は君のヴァージョンの世界を持っている。僕が君のヴァージョンの世界を生きることは不可能である。けれども。僕らは互いの世界を想像することができる。その想像がどこまでいっても僕のフィルターから逃れられないとしても、想像をするのかしないのかには、とても小さいけれど無視できない大きな差がある。
 多く人々は、幸せとは何かという問いを立てる。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という小説は、非常に理知的かつ童話的な文章によって、それについてのひとつの答えを与えてくれると思う


 高校3年で海辺のカフカを読んだ僕は、親友の無事を確信し、それを教師たちに伝えました。どうしてそう思うのだ、と聞かれてもひとつ意外に答え様がなかった。「なぜって、それが解るから」。彼らはついに理解してくれなかった。そして、親友は無事に僕らの元に帰ってきた。土産のうなぎパイを持って。

 疲れた時や何かを見失ったとき、僕はいつも村上春樹の文体に身を委ねることにしている。とても穏やかな気持ちになれるし、世界を見つめるためのレンズの曇り拭き取ってしまうにはそれが一番いい方法だからだ。かならずしもそれが村上春樹の文章である必要があるというわけではない。たまたま僕にとってある場合に有効な手段だっただけだ。ある人は靴を磨くのかもしれないし、ある人はランボルギーニのアクセルを踏み込むのかもしれない。それでもこれだけは言える。疲れた心を癒すための自分なりの方法に出会えた僕らは、それだけでとても幸せなのだ。

yy


1 件のコメント:

  1. いやー、長かった(笑)。
    最初のチョコの話を読んでる時は、サイドのスクロールの位置を見て、え?このチョコの文章どこまで続くの?って思ったけど、そういう事ね。
    別にトピ立てれば良かったのに(笑)。
    照れる事ないやんけ。
    僕は苦手な村上春樹だけど、これを読んで新刊を読んでみたくなりました。
    君の理解が僕にも欲しい。

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