7月26日より帝国劇場で上演していた
東宝ミュージカル「ビューティフル」が
昨日、無事に大千龝楽を迎えました。
応援してくださった皆様、
会場に駆けつけてくださった皆様、
ビューティフルを機に僕のことを知ってくださった皆様、
本当にありがとうございました。
TwitterやLINE@では簡単なご挨拶をさせていただきましたが、
改めまして、振り返りと、さまざまな思いを
書き連ねていこうと思います。
ここから下、長文です。長いです。
お時間のあるときにでも読んでいただけたらありがたいですが、
スクロールの長さに心折れて、そっと画面を閉じていただいても構いません。笑
☆☆☆
僕にとって「ビューティフル」は
昨年出演させていただいた「ジャージーボーイズ」に続き、
ふたつめの東宝作品であり、ふたつめの商業ミュージカルでした。
そのどちらもジュークボックス・ミュージカルという形態で、
そのどちらでもアンサンブルの低音パートを担当させていただきました。
「ジャージーボーイズ」はフォーシーズンズというコーラスグループにまつわる実話を、
「ビューティフル」はキャロル・キングと彼女の仲間たちにまつわる実話を基にした、
物語でした。
どちらも舞台のスタートが1960年代のアメリカで、
どちらも主人公たちがスターになる栄光と、その裏にあった苦しみを描いています。
どちらもアジア圏初演で、
どちらにもオリジナルキャストとして参加させていただきました。
そう振り返ると、なんと幸せな2年間だったのかと思いますし、
2作という本当に少ない出演経験にもかかわらず、
このようにどちらも「センセーショナルな」作品に出させていただいたことは
僕の誇りであり、自慢でもあります。
ではこの「ビューティフル」。
なにが「センセーショナル」だったのでしょうか。
☆☆☆
まず、帝国劇場という日本最高峰の劇場で、
このようなジュークボックスミュージカルが東宝により上演されたこと。
歴史スペクタクルやファンタジー超大作でなく、
今こうやって生きている僕らと同じようなごくごく普通の少女が、
友人との交流や家族の支えによって才能を開花させ、
辛いことや悲しいことを乗り越えながら自己実現していくという、
最終地点がボードビル1位とカーネギーホールという点を置き換えさえすれば
どこか「ありふれた」お話であること。
あの帝劇の空間の大らかさにもかかわらず、求められる表現の種類が、
ストレートプレイ要素の強いお芝居であるということ。
登場人物たちの心情の変化や、対立、決心といった
劇作上重要なドラマの転換点が、歌ではなく台詞による芝居で処理されていること。
主要登場人物も6人と限定され、舞台装置は過度な具体化を排除されて
お洒落だけれども半分抽象的なパーツによって組み立てられていること。
リアリズム演劇の劇作手法を主幹にして作られたミュージカルだということがわかります。
プリンシパルと呼ばれるメインキャストが「あまり歌わない」こと。
なぜならプリンシパルは、作詞家や作曲家、プロデューサーといった
クリエイター側の役割を与えられていたから。
その代わりにアンサンブルキャストが彼らの作った楽曲を世に出す「スター」となり、
ショウシーンとしてゴフィン&キング、マン&ワイルの曲をガンガン歌う構成であること。
そのアンサンブルキャストのほぼ半数が普段はプリンシパル級の役者であり、
残りの半分は普段、ミュージカル以外の畑でプロフェッショナルとして活動していること。
初ミュージカルのキャストも多かったし、僕のように経験の浅い役者もいるし、
プリンシパルを含めれば初帝劇のキャストも多かったということ。
そしてなにより!
主演のキャロル・キングを演じるふたりが、
ふだんはシンガー、アーティスト、声優といった、
これまたミュージカルとは違うフィールドで活躍する歌姫だったということ。
こうやって要素を並べて考えてみても、
ふだん帝劇でかかっている「超大作叙事詩劇」のような作品と比べると、
かなり毛色が違ったのではないかと思います。
☆☆☆
なんか文章多くて読むの疲れますよね?笑
写真でも挟んどこ。
(菅谷と山野が昼から酒をかっ喰らって笑顔の図。ちなみに休演日ね。)
☆☆☆
ってことで、かなりチャレンジングな作品だったのだと思います。
お客様だって、日本初演のこの作品、
事前情報も豊富には得られない状況で、
早い段階でご来場を決意していただく心理的ハードルは、
けっこう高かったんじゃないかな・・・と思います。
それにもかかわらず、幕が開いてみれば、
来ていただくお客様の多くから「楽しかった!」「また観たい!」
というお声をいただけたこと、本当に嬉しく思います。
最終週から千秋楽にかけての盛り上がりには、僕らも一緒に興奮を感じていました。
それもこれも、キャスティングの妙と、
リスクを覚悟の上チャレンジングな演目の上演を決意してくださった東宝さんの熱意と、
そしてもちろん本家本元ブロードウェイのカンパニーが作品に込めた愛の強さと、
なによりキャロル・キングという人物の魅力が成せるワザだったのではないでしょうか。
まあ、けっきょく何が言いたいかっていうと、
本当にいい作品だし、本当に意欲的で、いいプロダクションだったんだぞ!ってこと。笑
☆☆☆
ここからは、個人的な話を。
僕は、普段、バス歌手として活動をしていますが、
バス歌手としてこの作品に携わらせていただいたことに感謝しかありません。
それはなぜかって?
バスというのは、男女あわせた歌のパートのうちでも
もっとも下の、低音部を担当するのです。
別の言い方では、ベースヴォーカルと呼ばれたりもします。
合唱やオペラ、ミュージカルのなかでも
華やかなパートを担当するソプラノやテノールに比べると
どちらかと言えば地味なパートで、
だいたい舞台の端の方か奥の方で、
「ボンボン」言ったり、「うー」とか「あー」とか言ったりしてることが多いです。
スポットライトを浴びることなんて、ほとんどありません。
にも関わらず「ビューティフル」では、
僕のようなミュージカル経歴の短いベースヴォーカリストが、
帝国劇場で、スポットライトを浴びて、歌い出しは超低音からのソロで、
途中から豪華な生コーラスもしたがえて、舞台上ふたりきりセンターに立って、
2分半も歌をうたえるだなんて・・・・!!!!!
そんな、奇跡みたいな話、この作品じゃなかったらありえなかったと思います。
本当に、幸運なことです。
それもこれも、"You've Lost That Lovin' Feeling"という曲をこの世に生み出してくれた
バリー・マンとシンシア・ワイル夫妻のおかげです。
バリー・マン役 中川晃教さん
シンシア・ワイル役 ソニンさん
そして、43公演のあいだ、僕のとなりで一緒に歌い続けてくれた
相棒の山田元のおかげでもあります。
彼がいなかったら日本版ライチャスブラザーズは、成立してなかったと思う。
右が相棒の山田元。今回、会えて本当に嬉しかった。
43公演、帝劇の舞台にふたりだけ。
でも舞台裏にはコーラスの仲間がいて(ロコモーションの後だからみんな汗だく)、
目線を下げれば前嶋さん率いるオケがいて(いつもセッションしてる緊張感と高揚感)、
そして目の前にはいつもたくさんのお客様がいてくださった。
みなさんから力をいただいていました。本当にありがとうございました。
低音歌手の魅力、みたいなものが少しでも伝わればいいなと思っています。
歌のカッコよさは、高い声が出ることだけじゃないんだぜ!
☆☆☆
というわけで前述の「プリンシパルはクリエイターで、アンサンブルはスター」
という構図において、僕は「ライチャスブラザーズのビル・メドレー」という役割を
与えていただいたのでした。
けれど今回の舞台、出番はそれだけではありませんでした。
数えてみると都合、8役9シーン。
試しに書き出してみましょう。
・「1650 Broadway Medley」"Splish Splash"の作曲家(下手前のピアノ弾き)
・キャロルが通うカレッジの学生
・ドニーのもとへ"Be-bop-a-Lula"を売り込みにくる作詞家
・"Splish Splash"の作曲家が今度は" Little Daring"の作詞も
・ライチャスブラザーズのビル・メドレー
・"One Fine Day"を撮影するテレビスタジオのAD
・"Chains"のレコーディングベーシスト
・"Pleasant Valley Sunday"のバックで頭を抱える作曲家
・"Tapestry"のプロデューサー、アゴ髭のルー・アドラー
どれも素敵な役で、なぜかといえばどの役も、
キャロルたちが生きたその時代を象徴する存在だから。
名もなき作曲家や作詞家やベーシストやADとして舞台上に生きることで、
キャロルたちが生きている時代の空気をその空間に生み出すことができるから。
けれどそのなかでもやはり特別なのは、
ルー・アドラーという役でした。
☆☆☆
ルー・アドラー。
彼もキャロルたちと同じように実在の人物で、
時代を切り開き、時代を作った名プロデューサーです。
本当だったら、35〜40歳の役者さんがやるような役です。
じっさい「Tapestry(つづれおり)」というアルバム製作に
ルー・アドラーが関わったのは37〜8歳gのときでした。
僕は28歳。設定よりも10歳も若い。
しかも登場する場面は物語の最後も最後。
キャロルはそれまで2時間ぐらい舞台上で生き続けて、
大きな出来事を乗り越え、友人たちからの愛も経験し、その場面にたどり着く。
そんなタイミングで、パッと舞台上に現れる新しい登場人物。
やりがいは十分にありすぎるほど。同時に、難しさもてんこ盛り。
稽古場でもけっこうギリギリのタイミングまで悩んでいて、
無理やり歳をとったようにみせるような芝居はやりたくないし、
とはいえ自分の生のテンポで芝居をしてもルーには見えないし。
ルーが登場する場面の稽古が来るたびに、僕なりに試行錯誤をして。
でもぜんぜん納得がいかなくて。
そんな僕に、さりげなくアドヴァイスをしてくれたのは、中川晃教さんでした。
「ねえ、プリッツさぁ。ルー・アドラー本人だったとしたら、
ブースのなかで音を聞いてるとき、どんな格好してると思う?どんな姿勢?」
このひとことが、すべてを解決してくださったといっても過言ではありません。
アッキーさんからのこのアドヴァイスを元に、
ルーだったらどう立っていたかをいろいろ試すうちに、
しっくり落ち着いたのが、上の写真でもとっている姿勢でした。
右の拳で体を支え、左手は腰に添えている。
とても特徴的で、もしかしたら本人はこんな格好したことないかもしれないけれど、
でも、こうやって立っている姿から、
喋り方も、話し声も、音楽に対する真剣さも、
キャロルやエンジニアやミュージシャンに対する愛情の深さも、
すべてが導き出されたのです。まるで魔法のような瞬間でした。
稽古場から劇場へと移動し、
衣装とカツラと髭がついたときには、
そういった装備に瞬時に馴染むことができなくて、芝居もうまくいかず、
ならばと思ってカツラと髭に慣れるため、
ヘアメイクさんたちに無理を承知でお願いをして、
空き時間に30分ほど、ルーの格好であちこちを歩き回ったりもしました
この写真はそのときに、"Tapestry"の楽曲をひととおり弾き歌いしているところ。
撮影は山田元。笑
そうやって取り組んだ役で、ふたりのキャロルと一緒にお芝居ができたのは
本当に幸せなことでした。
いつも"A Natural Woman"を歌うキャロルの背中を見守り続けていました。
あーやキャロルは、前に前に、と。
全身からエネルギーを客席に向かって送り届けるように。
彼女自身が音楽で、彼女自身が楽器である。そんなキャロルでした。
奈々キャロルは、地に根をはるように背中で歌う。
小さな体からは想像がつかないくらいパワフルな力が
背筋から足の筋肉へとグイグイ下に送られていって、
その重心の低さの分だけ、力強く響きの高い声が劇場の天井まで飛んでいく。
奈々ちゃんは詩で、物語で、愛。そんなキャロルでした。
ふたりのキャロルの背中を押し、その押した背中を見守り続けられたあの時間。
心の底から幸せを感じる瞬間でした。
☆☆☆
他にも、面白かったことや心動いたこと、
たーくさんあるのですが、
どうやらこの辺で5000字を超えたみたいなので笑
そろそろ終わりにしたいと思います。
人生のこのタイミングで、この作品に出会えて幸せでした。
良き仲間たちにも会えたことも、今後の人生の財産となると確信しています。
歌い続けてきてよかったし、芝居もやり続けていてよかったなと思います。
それに、東宝のみなさまも、帝劇のみなさまも、
本当に素晴らしいスタッフワークをしてくださいました。
プロフェッショナルな仕事にかこまれて、のびのびと芝居をやらせていただいたこと、
役者として、この幸せはぜったいに忘れません。
そして、たくさんのお客様がこの作品を愛してくださったこと。
これもけっして忘れません。
願わくば、もう一度同じ場所で、キャロルの物語が紡がれることを夢み、
そして、この作品に愛を感じてくださったすべての方のこれからが
ビューティフルな日々に彩られることを祈り、
僕もまた一歩一歩、歌手として俳優として、精進を続けてまいりたいと思います。
みなさま!
本当にありがとうございました!
山野靖博
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