2013年3月12日火曜日

3/12 修二会その弐

こんにちは、山野靖博です。
奈良3日目の朝です。とてもいい気分です。

昨日も修二会にお参りしてきました。
特別ガイドつきで!

飯田惣一郎さんは先月本番を終えたコジファントゥッテの演出家。
飲み会の席でひょんなことから東大寺にご縁があるというお話を伺い
無理くりに「ずっと修二会に行きたいと思っていて!!!」と
かなり興奮をして奈良にてお会いする約束を取り付けたのであります。
飯田さんとお会いしなければ、今回も奈良まで来る踏ん切りはつかなかったと思うので
なんとも感謝をしています。

夕方に落ち合い、猿沢池から奈良町をまわり元興寺、
興福寺を通り過ぎて浮見堂。鷺池に浮かぶ八角形のお堂は西日に照らされ
それはそれは美しい風景でした。何ともロマンチックな男ふたり連れ道中。苦笑
飛火野から春日山を眺め、南大門に向かい
東大寺の敷地は戒壇堂から大仏池の馬酔木を横目に大仏殿の裏へ。
ぐぐぐと裏道を抜けて、二月堂の登廊の途中へ。

本当に有り難いことに参籠宿所、つまりお籠もりをされている僧侶のみなさまが
行の最中寝泊まりをする建物の庭へご案内いただき、
上司永照さまをはじめ何人かの練行衆と三役の方々とお話もさせていただきました。
端から見るとなんとも荘厳で秘密めいた印象の十一面悔過法要も
内から見てみれば、気さくで温かでそこに生きている人々が
「今年は温かいな」とか「今回はお籠もりしないんですね」などといいながら
誇りと使命を胸に粛々と守り抜いてきた営みなのだという、
ごくごく当たり前な事柄に気付かされました。

登廊の途中、食堂の廂の下に陣取ると
参籠宿所から二月堂に上堂する練行衆の姿と、
それの先をゆき足元を照らすための松明の着火の瞬間を見せていただきました。
お松明はパーフォーマンスじゃないんだ、拍手なんてもってのほか、
お祈りの気持ちと一緒に眺めるのが本当だよ、と飯田さんのお父様。
派手さが強調され人が集まるようになると変容して受け取られる儀式の本質。
難しい問題であろうなと思いました。

二月堂の中、六時という日に6回ある行を見るのには、
内陣とその外周に張り巡らされた格子の外から見る方法があります。
格子のうちは女人結界で、内陣には事前に承諾を得た男性のみ入れるとのこと。
一昨日は格子の外からみましたので、そこから一歩内に入って行を見られたこと、
なによりも先ほどまで言葉を交わし笑顔でオペラの話などをしていたお坊さんが
あちら側で声明を唱えていらっしゃるのを見るに
前日よりもより手触りを感じる時間を過ごすことが出来ました。

なかなかできるものではない、本当にいい経験をさせていただきました。
有り難く、心から有り難く思います。


今夜の人出はすごいらしく、それでも今宵もお参りにいこうと思います。

おたいまつは遠慮して、日没の行と過去帳にそれぞれ間に合うように、
もしも気力と体力があれば、お水取りと達陀も見たいと思っていますがどうなることやら。


昨日は大きな震災より2年の節目。
とはいえ、二年前にあった震災、ではなく、
あの日からこの2年、僕らはずっと被災しているのだということだと理解しております。
お松明の前に別当さんが参拝客に向けて、
被災された方やお亡くなりになった方、今なお苦労をされている方へのお祈りの気持ちと
それぞれの立場から復興への尽力を、私たち東大寺とともにお願いしたいという旨の
お言葉を下さいました。
それぞれの立場から、それぞれが出来ることで、というお言葉に胸が震えます。
僕ら歌い手の、しかも見習いの無力さに、思いあぐねている者は多いはずです。
何にも成れない焦れったさに身を焼くこともありますが、
何かが出来るように何かに成るための日々が行と思えば、
それこそが僕らに出来る最低限の復興支援だと思えば、
少しは心の荷が下りる気持ちもするようです。

yy 

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