2013年3月10日日曜日

3/10 修二会その壱

こんばんは、宿舎より山野靖博がお送りします。

14時過ぎに奈良についてホテルに荷物を置いてから、
宿の近くをぶらぶらとしました。
案外面白いお店も多く、食にもお酒にも困らなそうです。
奈良を、おいしいものがないという人がいますが、
食べ方飲み方を心得れば、それほどつまらない土地では無さそうですね。

仮眠をとってから19時のおたいまつに間に合うように
東大寺は二月堂に参じました。

中学の修学旅行以来の東大寺。
もう暗くなりはじめてからの参拝だったので、
南大門も大仏殿もその全貌をよくは確認できませんでした。
明日あさってにでもゆっくりとお参りをしようと思います。

修二会。
それこそ10年越しといっても大袈裟ではないです。
それだけに、お松明の焰をはじめ目にした時には涙をこらえられませんでした。

まず驚いたのは人出の多さ。
1000人弱はいたのではないか、と思います。
人のざわめきは、ごうごうといううねりのように聞こえると知りました。
別当さんのお言葉に続いて、暫くしてからの上堂。
火の粉の舞う様、炎のあがる様には歓声が上がっていました。
人が集まるようになってから、足下を照らす松明が徐々に大きく派手になり、
それこそ修二会の骨頂のように広くとらえられているようですね。
とはいえ、やはり圧巻の風景でした。

お松明が済み、帰る人込みに逆流して二月堂に入ります。
初夜と神名帳という法要を途中まで拝聴してまいりました。
木沓の音。声明の響きとリズム。
南無観自在菩薩と唱える声は徐々にその間隔を縮め、
南無観自在、南無観と拍子が短くなっていく様はまさにストレッタ。
その頂点に五体投地の床を打つ痛ましげな音。胸を打ちます。
行道にて堂内を周る僧たちの木板を踏みならす差懸の沓音。
般若心経。

大層な行としての修二会でなく、
生活の中から、生きることの必死さと豊かさから生まれ、
その尊さを守ろうという思いに支えられたこの大法要の根幹を
肌で感じたような心持ちで、
松明の煙に燻された身体の香りに心を揺さぶられつつ帰ってまいりました。

冷えた身体を温めるため、道中立ち寄った料理屋ではもちろんぬる燗。
これもまた旅の楽しみであります。

明日は技芸天女様に会いに秋篠まで足を伸ばそうと思っております。
夕方にはまた東大寺へ参るつもりです。

yy

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