2014年11月18日火曜日
若いからこそ出来ること=積極的な失敗、という話
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近頃では若い人がガンガン活躍できる環境が揃ってきていますね。
テクノロジーの発達のお陰です。
若いうちからプログラミング勉強してウェブサービスをローンチしたり、
ネットショップ開いて自作のアクセサリー発売したら世界的に人気になったり、
科学的に重要な発明もポツポツと高校生とかがしていたり、
スポーツの世界でも10代が活躍したりと、すごい限りです。
僕は悲しくも特殊才能には恵まれなかったし、
幼い頃から積み重ねた努力や勉強もなかったので、
一般的な凡人の成長過程をなぞりながら25まで齢を重ねております。
とはいえ、25歳という年齢も一般社会からいえばまだまだ若いと言われる時期。
この「若さ」という価値はかなり自分を助けてくれている気がします。
まず、年配の方は、ご自身が若かった頃の体験を思い出しながら僕に対峙してくれるため
「まだ若いのだから完璧にできなくても仕方ない」とか
「まだ若いのだから見守ってあげよう」とか、そういう柔らかい対応をしてくれます。
それに留まらず、「私が若かったときにこのアドヴァイスを受けていたらもっと良かった」
と考えて下さって、有益な助言をたくさん頂けたりもします。
そしてもちろん、「私の若いときならこんなこともできていたのに君は未熟だ」と
叱って下さることも有り難い限りです。
自分が若いからこそ与えてもらえる注意や助言の多さ。
自分が若いからこそ許してもらえる事柄の多さ。
当然、それに甘えるわけではなく、だからこそより大胆にチャレンジを繰り返せる、
これこそ若さ故の特権だと思うのです。
あるいは、僕が無名で何者でもないからこそ、
エラーやリスクを積極的に取ることができるのかもしれません。
そして多くの場合、若いということは何者でもないこととの表裏だったりします。
若いからこそ恐縮する、萎縮するのではなく、
若いからこそどんどんチャレンジしていく、どんどん失敗していくという方向へ
自分の舵を切れるといいですよね。
若いうちの傷は治りが早いです。おそらく。
若さに胡座をかかず、若いからこそ甘えるというわけではなく、
それでいて若さを自分の価値としっかり理解して、
若さを武器に成長の機会を掴み取っていく。
今しかできないことだからこそ、大切なことだなとつくづく感じます。
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