2015年3月2日月曜日

いつか来る日をどう迎えるか、という話。





はっきり言って、東京芸術大学に入ってくるような人は、
「いつか自分が世界の中心に立ってやるぜ」と思っているような人ばかりです。

世界の中心、とは文字通りの、地球規模の、グローバルな、という意味もありますが、
たとえば「その業界では有名」とか「その地域では第一人者」みたいな、
小世界的なものも含まれています。



で、みんながそれぞれ、「世界から選ばれたい」「一歩抜き出てやる」と思って、
毎日を過ごしているわけです。技術の研鑽を積んだり、情報交換したり、遊んだり。



そうやって学生生活がすすんでいくなかで、自分の器が見えてきて、
挫折していったり、あるいは他にもっと自分が輝ける場所をみつけていったりして、
学校に来なくなる人や、レッスンを受けなくなる人や、進路を専科から変える人がでてくるわけです。



僕の身の回りには、音楽やアートとは別の道を歩んで、けれど才能をドカーンと発揮して
生き生きと働いている同窓生がかなりいるので、そういう人生って素敵やん、と思います。

同様に、今なお音楽やアートの道を目指し、華々しく活躍していたり、
海外でめちゃめちゃ有意義そうな勉強を続けていたり、日本でも一線に食い込もうと
日々の生活をしながら頑張っている人がたくさんいます。


僕は、日本で、日々の生活をしながら頑張ってる人、に入るわけですが。


基本僕らは自営業なので、自分のやったこと以上のものが返ってくるということはありません。
営業成績全然出してないのに今月もお給料が出る、とか
お給料ぶんぐらいしか働いてないのにボーナスやら保険やら付く、とかありません。


自分で頑張った分だけ技術を身につけ、それにより商品価値が上がり、
できることが増える分だけさらなる経験を積むチャンスを得、
自分を知ってもらう努力をしただけ、仕事をいただく可能性が広がります。



そうしながら、いつか来る「自分が世界の中心に立つ日」を待ちわびています。



もちろんこれは、エゴイスティックな考えではありません。
舞台に立つことを考えたって、たとえば主役をもらえたとしても、
自分こそがそのカンパニーの中心だ、といっているわけではないのです。
第一線の舞台に選ばれること、権威ある展覧会に選出されること、
毎年毎年同じ企画から声をかけていただくこと、表現をする場を与えられること。
自分の表現をすることを許された場、自分のことを誰かが見てくれる場、
それこそが「世界の中心」です。

国家プロジェクト級の大舞台も、地域の公民館も、
自分の表現を許され、それを誰かが見てくれるのならば、等しく「世界の中心」たるわけです。



さて、そんな「世界の中心に立つ日」をどう迎えるか。
これはもう、人それぞれです。



僕としては、
商品としての自分の歌がまず高品質でなければいけない。これが大前提。
いまはまだここが弱いので、なんとかかんとか一級品になれるように
地道に稽古を続けるしかないですね。

それとは別に、ちゃんと商品としてのパッケージを作りましょうということもしていきたい。
一般の商品を売るとしたら、マーケティングとか、パッケージデザインとか、
購買意欲をそそるカタログの作成とか、それを持って営業をかけるとか、するでしょう。
このことも、ちゃんとやりたいなと思うのです。


そりゃ、一般企業みたいに、製品を作る係と、マーケティングの部署と、
営業をかける人が、それぞれバラバラだったらいいんでしょうけど、
僕はフリーランサーで、マネージャーも付いていないから、
製品開発もマーケティングも営業も、全部自分で行動を起こさなきゃいけないわけで。



いま、歌が上手くなるベクトルは、なだらかではありますが、着実に右肩上がりです。
その結果を出している練習をする時間の他で、何ができるか。
生活費を稼ぐ、マーケティングについて考えてみる、営業を頑張ってみる。
すべての相乗効果があってこそ「世界の中心に立てる」チャンスが増えると考えています。


どれが一番大事なんだよ、と聞かれたら、製品=歌がべらぼうに上手いことと答えますが、
でもそれだけではダメなんだと思う。



そんなことをふと思いました。



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