2014年9月8日月曜日

昔が“異常”で今が“通常”だと思う、という話








本当は、不況と表現されている今の経済状況が“通常”で、
昔はよかったといわれる高度経済成長期やバブル期が“異常”だったのではないか、という話です。




ほとんど、主張も結論も上の二文で完結してしまったのですけれど。

バブル崩壊からこっちを、「失われた20年」とか「戦後最大の大不況」と言うことがありますね。
けれど、それは高度経済成長期・バブル期を基準とした視点から導き出される形容なのであって。
人類史を見ても、軍事的にも経済的にも太平の世ってほとんどないのです。
そのことから考えると、今のお偉いさん年代の方が、
「昔はこんなに良かったのに今は世知辛くて・・・」とセリフづく
その“昔”こそ特異なサンプルだと思われます。

ある時代の日本で、無名の人でも頑張れば報われたのは、
ただ日本がスゴかったからでもただ日本人の努力がスゴかったからでもなく、
冷戦下に於ける中国をめぐるゴタゴタや、朝鮮戦争の特需や、アメリカの思惑などなど
さまざまな外的・歴史的要因が関係していたからこそ。
一般市民でもジャブジャブお金を使い放題だったのは、日本がスゴかったのではなく
バブルと呼ばれる実体のない好景気に経済が支配されていたからこそ。




とすると、やはり今の年輩の方が仰る「昔は良かった」は
どこまでも特殊な状況であると思うのです。




クラシック音楽の世界も同じなのです。
企業からの寄付や後援、行政や様々な組織からの援助金によって
日本でも大きな公演を打つことが出来た時代がありました。
演奏者のチケットノルマはなく、運営は黒字で、
あるいは赤字だとしても補填金がどこからともなくやってくる。
演奏収入だけで家をキャッシュで買えた時代。

そんな時代が確かに存在したようですが、それも昔のこと。
それも、不自然な時代の出来事です。

演奏家のおかれるべき境遇は、今の時代の方がある種“普通”なのだと思います。
ただ演奏していたのでは観客は見向きもしてくれない。
あの手この手で興味を持っていただいて、たとえ数人でも会場へ足を運んでいただくことが価値。
芸術を声高に叫ぶのではなく、芸として鍛錬された技術を以てお金を頂く。



補助金やスポンサーがないのが当たり前。
その中でどうやって知恵を振り絞って、収益だけでプロダクションを回していくか。
あるいは、どうやって支援金を頂戴するか。
そのことに演奏家が悩むことのなかった時代の方が異常なのです。




幸か不幸か、古き良き時代を知らない僕ら若い演奏家は、
今の状況がデフォルトとして活動を始めています。
けれど、偉大なる先輩方から「昔はもっと良かった」との話を伺うことがあります。
政府が悪い、エコノミストが悪い、金持ちが悪い、企業が悪い、と
現状を“異常”として、どうにか昔に状況が戻らぬかと口に出される方がいたりします。


でも僕は、「昔」の方が異常で、「今」が通常だと思っています。
そうすると、両者の活動の指針にすこしだけズレが生じたりすることがあります。

あるいは、同世代の演奏家でも、「今」のこの“異常”な不景気でも
クラシック音楽を含む芸術こそ価値があるものだ、と考えている方もいらっしゃいます。
この時代で頑張ろう、という意思は同じでも、やはり両者の活動指針にズレが生まれてくることがあります。



僕は、どこまでも、昔が異常で、今が通常だと考えています。
歴史的にマジョリティな経済状況に戻りつつもテクノロジーの進化の恩恵を受けるこの時代に、
僕たち演奏家は何を大切にしていくべきなのでしょうか。
それを一所懸命考えています。





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