2014年2月9日日曜日
戦闘モードの切れた脳みそで気の向くまま書いてみた、という話
https://tyottoku.blogspot.com/2014/02/blog-post_9.html?m=0戦闘モードの切れた脳みそで気の向くまま書いてみた、という話
実家にいると、戦闘モードのスイッチ切れますね。
どうも自然とリラックスな脳みそに切り替わるようです。
そんなときにはブログ記事のストックも上手くいかず、
ほかの作業も含めて非常に稼働効率のわるい時間を過ごしています。
だいたい山梨にいるときには、外に出てデスクワークや譜読みを進めます。
最近は甲府市内にも良い感じのカフェ・喫茶店が増えてきたので
その中からその日の気分で作業場所を決めて出かけます。
けれど一昨日と昨日は音楽科発表会でドタバタとしていましたし、
今日は今日とて大雪で気軽に外にも出られずでした。
環境が設定されないとスイッチが入らないというのも難があるかなと思いますが、
今のところ僕の生活リズムのメインは東京でのフリーな時間なので
当面問題は起きないかと思われます。
ただ、山梨での活動が増えたり、お給料を稼ぎに外へ出る時間が増えたりすると
またこの「環境設定」にも工夫をしていかなければなりませんね。
それにしても、雪が降ると(現実的な煩わしさはあれど)街はとたんに美しくなりますね。
人や車が往来し踏み固められ泥も混じった状態は“わろし”ですが。
冬はつとめて、雪の降りたるはいういふべきにもあらず、ということでしょう、まさに。
もし雪が白でなかったら。
そのときには、僕たちが“白”に対して抱くイメージも違ったものだったかもしれません。
それほどまでに雪の白さは無垢さや清らかさといった印象と強く結びついている気がします。
そう考えると、雪の降らない土地に住む方の“白色”へのイメージは、
きっと僕とはまた違っているのだろうなと思い当たります。
雪国ではない土地にたまに大雪が降ると、事故や怪我が多発します。
山梨も例外ではないですし、東京はさらに大変でしょう。
山梨はそうはいっても年に数回雪が降るので、家庭用自動車の多くはスノータイヤを履きますが、
東京では雪道用のタイヤを用意していない家庭も多そうですよね。
雪道用の靴も持ってる方は少ないだろうし(僕もあわてて昨日買いました笑)
なんにせよ路面の凍結には本当に気をつけたいです。
実家だとあまりにリラックスしてしまうから、
山梨にも外に部屋をひとつ借りられたらなーなんてふと思いました。
仕事部屋みたいにしちゃって……
そんな余裕、今は無いけれど、ゆくゆくはありだな。
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