きのう「ストリーミングサービスで音楽の価値は下がったのか!?という話。その1。」
というポストをしました。
今日はその続きです。
さて、きのうは
CD1枚売れると発生するアーティストへのインセンティブと比べて
昨今より一般化してきたストリーミング再生でのインセンティブは
信じられないほど少なくなっていて(110円だったのが0.16円)
1再生あたりで考えても、1/5程度に下がっているけど、
この状況は果たして「由々しき事態!!!!」なのかどうかというところで
終わっていました。
僕自身は、まあ妥当なのではないなかと思っています。
なぜかを考えるために3つの視点を持ちたいと思います。
キーワードは、
テクノロジーの進化、経済情勢の推移、音楽商品の役割の変化、です。
◯テクノロジーの進化が市場価格を押し下げた
昔と比べてアーティストへのインセンティブが少なくなってるから
音楽産業は衰退して、若いアーティストが生活できなくなっている。
これが今回の問題で大きく取り上げている指摘かと思います。
その点に注目して考えてみます。
音楽産業が衰退している原因はさまざまあると思いますが、
もっとも影響が大きいのが、CDが売れなくなったことでしょう。
じっさいのCD販売数が減っているというのもあるし、
以前ならCDを買っていた人たちが、ダウンロードやストリーミング
(はたまたYouTubeや違法ファイル共有ソフト)などで曲を聴くようになった
というのも原因でしょう。
ところで、音楽産業にとっての商品は、CDだけではないですよね。
もちろん主力商品ではありますが、コンサートやグッズ、各種ライセンスなども
立派な収入源であります。
そういった商品編成のバランスがどう推移しているのかは正直よくわかりませんが
CDやストリーミングデータといった、流通する音楽ソフトの売り上げが下がっているのは
安易に想像できます。
音楽産業にとっての主力の商品は、1990年代頃までCDやレコードでした。
レコードが出る前はおそらく楽譜だったでしょう。
こういった商品を流通型商品と呼んでみたいと思います。
(コンサートや音楽会は劇場型商品とでもいいましょうか。)
昔はコンサートに行くか、楽譜を買って自分たちで再現するかのどちらかが
音楽の楽しみ方でした。
蓄音機が発明され、レコードが普及すると、アーティストのオリジナルの演奏を
家庭でも楽しめるようになりました。
これによって、音楽の流通型商品の価値は一気に上がったことが想像できます。
レコードがCDに取って代わられたのは大きな変化です。
なぜならば、音楽のかたちが、アナログからデジタルに移行したということだからです。
折しも、家庭用のコンピューターが普及し、インターネットが常時接続の時代がやってきます。
アナログの情報だったらコンピューターで流通させることはできませんが、
デジタルデータならば、もうホント簡単にパソコンとインターネットを介して
全世界中に配信することが可能です。
流通型商品のかたちが、レコードやCDといった物理的な円盤を脱して
データに変わりました。データは複製が簡単です。
レコードやCDに必要だった生産過程、工場などが必要でなくなります。
それに伴い生産コストも下がりました。
レコードで2000円強、CDで3000円前後だった販売価格がぐっと下がります。
活版印刷の発明→楽譜の流通
蓄音機の発明→レコードの流通
CDの発明→CDの流通 ※ここで音楽がデジタルになる
パソコンとインターネットの普及→音楽データの流通
テクノロジーが進化することにより、音楽の流通型商品のかたちが
どんどん推移していくのがわかりますね。
物質的な制約を脱いで、音楽はデータになりました。
当然生産コストが下がりますし、データは複製が安易なので
当然価格が下がります。
テクノロジーの進化が音楽の価格を押し下げたのです。
また、テクノロジーの進化が影響をあたえるのは
こういったメディアの変遷だけではありません。
昔は、活版印刷機を持っていなければ楽譜を生産できませんでした。
活版印刷機なんて庶民が買えるものではなかったはずです。
作業員も雇わねばいけなかったでしょうし、工場みたいなスペースも必要、
紙も仕入れたりしなければいけません。
こういった状況で楽譜を生産できるのは、資産家だけだったと想像できます。
レコードも同じです。
レコードの生産設備を持っていなければなりません。
個人で何百万枚もの溝を切るのは無理ですから。
CDだって同様です。
現在のようにテクノロジーが進化する前は、
流通型商品の生産過程において、楽譜の時代は出版社、
レコードやCDの時代は、レコード会社やレーベルが
その商品生産の利権をガッシリと握っていました。
限られた人しか算入できなかったので、流通価格もコントロールされていました。
また、レコードやCDといった、アーティストのオリジナルの演奏を聴ける商品には
レコーディングという作業が必要です。
ミュージシャンを雇ったり、適切な録音機材を揃えたりするのにも
投下する資本が必要でした。1980年代までの個人ではそんなこと無理ですものね。
せいぜいカセットテープに吹き込むぐらいです。
しかしながら、1990年代からのコンピューターの登場で
その状況は一気に変動します。
まず、個人でもレコーディングができるようになりました。
CDを焼くことも個人で可能です。
現在では、やろうと思えば機材面でも大手の録音と変わらないクオリティで
誰でもレコーディングができますし。
DTMなどの進歩でたとえオーケストラやミュージシャンを集めなくても
多彩な音をつくることができます。
資本を持っている会社や個人でしか算入できなかった音楽の流通ビジネスに
お金のない個人であっても参加できる可能性が大きく広がっています。
いまなら、スマートフォンさえあれば全世界中に自分の曲を配信できちゃうのです。
ヘリコプターを個人で買える人はなかなかいないでしょうが、
ドローンだったら誰でもちょっと頑張れば買えるでしょう。
テレビスタジオにあるようなおっきなカメラは買えないけれど、
安価で高性能で小さいカメラはたくさんあります。
個人で宇宙に衛星は飛ばせませんが、いろんなセンサーやCPUが小型化し
スマートフォンという名の高性能パソコンが手元にあるおかげで、
GPSなどの恩恵を誰もが受けることができます。それもほとんど無料で。
テクノロジーの進化は、資本がなければできないはずのことを
個人レベルにまで普及させる力があります。
個人レベルにまで普及するには、軽量化や小型化や簡素化が必要だし
なにより大量生産ができなければいけません。
大量生産ができるようになると、だいたいにおいて
商品ひとつあたりの生産コストは下がります。
それに伴い価格も下がります。世の摂理ですね。資本主義の素晴らしい点です。
音楽の流通型商品は、いまや個人でも生産できるようになりました。
レコーディングも自分の部屋でできます。
テクノロジーの進化により、生産者が限定される状況から脱し、
世界中のあらゆる人がその生産活動に関われるようになりました。
当然、世に出る商品の絶対数も増えました。
供給が増えたのです。供給が増えれば、価格は下がります。
テクノロジーの進化によって、音楽の流通型商品の価格は確実に下がる運命にあったのです。
けれど、これは悪いことではありません。
生産数が増え、供給される商品が多様化することによって、
たしかに粗悪品も増加するでしょうが、
安価で品質の高いものも確実に増えるからです。
消費者は、その恩恵にあずかれる。
素晴らしい音楽をいつでもどこでも、とても安く聴くことができます。
昔は、ヒットチャートにある曲が嫌いだったらいったいどうしていたのでしょう。
ずっと耳を塞いでいたのでしょうか。
いまだったら、そんな必要はありません。
ヒットチャートにある曲が気に入らなければ、
スマートフォンで好きな音楽を聴けばいいのです。
まだ続きます。
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