僕のすべての憧れの気持ちは、「プロになりたい」というモチベーションに転換されます。
なにか目指すべき「特定のプロフェッショナル」があるわけではないのです。
「なんらかのプロになりたい」という気持ちが強いです。
言い方を変えれば僕は、なんらかのプロになれればなんのプロになってもいいのです。
なんかしらんけど、プロになりたい。
こんなことを考えだしたのは、小学校の高学年の頃だったと思います。
テレビのバラエティ番組を見ていたら、何の変哲もない事務職のおばさんが画面にでてきました。
その人のスゴ技がテレビで紹介されていたのです。
なんと、「伝票に高速でハンコを押す達人」だとのこと。
確かに、指サックをつけた左手で伝票を超高速にてめくりながら、
右手は目にも留まらぬ早さで社印を押していきます。高性能の工業機械もビックリのスピード。
シュタタタタタタタタタタタタタタタ、シュタタタタタタタタタタタタ・・・
僕はこの映像を見たとき子供心に
こんなに局地的な技能でも極めればプロフェッショナルとしてテレビに出られるんだ
と衝撃を受けたのです。(当時は局地的な技能、とかそんな面倒な言葉は使わなかったけど)
ある職業に従事していると、自然に身に付く技能というのはありますね。
大きなレストランのスタッフならナイフフォークを拭きあげるのが異様に早いとか、
金融関係者ならめちゃめちゃ美しくお札を広げて数えられるとか。
僕自身が目指しているプロフェッショナルって、じつはそういうところなのです。
世界でひとりのスーパープレイヤーにも、なれるならなってみたいですが
それが第一目標ではなくて。
そのとき興味があるものに手を付けてみる。
そうして小さな技術や局地的なできること増やしていって、それぞれでプロフェッショナルを目指す。
あるものでは到達できるかもしれないし、あるものでは到達できないかもしれない。
こうした時間の過ごし方のなかでどれかが突出して僕の代名詞になればいい。
もしも代名詞となる技能がいくつか身に付くのであれば、それはかけがえのない価値になります。
その過程でスーパープレイヤーに近づいたら儲け物、ってかんじですよね。
僕にとって音楽はイチです。
料理やお酒もイチです。
考えることも生きることへの興味もイチです。
どれも注いでいる時間が長いから、それぞれサンとかヨンになってくれているかもしれない。
どこかでそれらが掛け合わされれば、足し算よりも大きな値をとってくれるはずです。
そのためにも、まずはたくさんのイチを積み重ねていきたいと思っています。
こう漠然と考えはじめたのは、まさしく小学生の頃でした。
明確な言語化をしてくれたのは、堀江貴文さんの「ゼロ」という本でしたが。
ひとつの事柄に深く潜っていくような向き合い方をする方も、大変尊敬します。
だって、僕にはそれができないから。
どうにも注意力散漫で自分を追い込みきれないから。
でもそんな自分の特性を、好奇心が旺盛だから、と無理やりにでもポジティブに捉えてあげて
なんとか毎日を過ごしています。
あるいは、本当はこの「僕はどうにも注意力散漫で自分を追い込みきれない」という
自己分析が間違っているのではないかな、という仮説も常に持つようにしています。
そう、なんらかのプロになれれば、といろいろなことに手を付けているのは、
自分のなかで仮説を増やしているということなのかもしれません。
歌い手で成功できるのか?という仮説。
プロデュースで成功できるのか?という仮説。
飲食関係で成功できるのか?という仮説。
モデルとして成功できるのか?という仮説。
指導者として成功できるのか?という仮説。
起業家として成功できるのか?という仮説。
ブロガーとして成功できるのか?という仮説。
本当はなににもなれないのではないか?という仮説。
いろんな仮説を立てて、それを検証していく。
なかには成立しないものも出てくるでしょう。でもそれはそれでいいのです。
僕は僕に対して、あらゆる可能性を感じているのかもしれません。
というか、ひとりの人間のなかにはあらゆる可能性があるはずだと考えているのです。
もしかしたら僕自身、可能性もクソもない、発展性もなにもない人間かもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。
そこを検証するためには、仮説を立てて、目の前の問題を解決していくしか方法はありません。
で、その検証を最後まで推し進める必要も、じつはなくってね、というのが僕のスタンス。
途中で飽きたらほっ放っておけばいいのです。
モチベーションが保てなかったという理由で仮説は成立しないとわかるのも結論だし、
あるいは数ヶ月か数年後に、また興味が戻ってくるかもしれない。
ってことで今日も僕は、なんかのプロになりたいなーと思ってすごしています。
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