インターネットのサービスやIT産業が発展してきたことにより、
身体感覚も変わってきましたよね。
最近ではパソコンで情報収集や作業をしすぎて、
パソコン画面の向こう側とコネクトしている感覚こそ現実、
という体感になってることに気付いたりします。
僕がPCを触りはじめたのは小学校の中学年ぐらいで、
父が家にパソコンを買ってきたのがきっかけでした。
最初はゲームとかネットサーフィンとかして、タイピングの練習したりとか。
そうやってパソコンに慣れていくうちに「ホームページ」なるものがあって、
それによって自分のことを表現する場が簡単にネット上に持てると知りました。
フリーのエディタをダウンロードして、HTMLを首っ引きでなんとなく勉強して、
自分なりにウェブサイトを持ったのはたぶん小学6年のときだったと思います。
そのときのコンテンツは、二次創作の小説とか自分で書いた詩とかブログとか。
今考えると恥ずかしすぎて赤面しますが、よくよく考えると
当時と現在ではそれほどやってること変わらないかもと思ったり・・・・・
高校に入って吹奏楽の活動が忙しくなると、あまりパソコンも触らなくなって
プログラミングからもずいぶん遠のいていまではなにがなんだかわかんない状態まで退化しました。
パソコンに触る時間がまたどっぷりと長くなったのは、MacBook Airを買ってから。
ITやウェブサービスに詳しい友人もできたことで、自分の知らなかった新しい物に
たくさん触れて、わんさかと刺激をもらいました。
ツイッターやフェイスブックをとってみても、コミュニケーションの形が全然違って、
自分の目上の方にアポイントメントとって時間や場所をすりあわせて話を聞きにいく
みたいな行程がちょっと面倒に感じるくらいに、どんな人ともすぐにやり取りができますよね。
最近僕は、毎日平均して20〜30記事ぐらいの文章をネットで読んでいて、
それってたとえば一記事2000文字(原稿用紙5枚)だとすると、4万〜6万文字になりますよね。
新書一冊が12万文字とかですから、そうすると多いときで新書半分の文字を毎日読んでいることになります。
それとは別に自分でブログ記事を書いたり、ツイッターで情報収集したり、
フェイスブックで友人たちの近況をみたりと、たぶん一日一冊本読むぐらいのエネルギーを
インターネットの世界に注いでいます。
そうやって、パソコンの画面に没入していると、
パソコンの向こうの文字と自分の視覚と考えている脳みそこそ世界!みたいな体感をする瞬間があります。
これ、本当にびっくりします。
自分の足とか背中とかお腹とかが、単なる属物みたいな感覚に陥るのです。
ネットの世界で情報収集や情報発信、思考実験をするために
意識をパソコンとコネクトするための「乗り物」として自分の身体を認識しているというか・・・
毎日ご飯を作ったり、街を歩いたり、楽譜を読み声を出しランニングマシンで走り
といった営みがあるので、自分の身体の重要性も感じながら生活できていますが。
でも確実に、パソコンや携帯に触っているとき、僕たちの身体はなかば
忘れ去られた存在と化してますよね。そんな認識ないですか?
それが恐ろしいとか、そうであってもITは素晴らしい、ってことを言いたいわけではなく
ハッと気付いたときにそんな感じが自分であって驚いたのです。
イタリアの友達とリアルタイムでやり取りできたり、
これからいく場所の周辺を家から下見できたり、
世界中をウィルスで感染させて人類撲滅させたり、
僕の身体を使ってでは本来ならできないことができている不思議。
ITって、インターネットってすごいんだなと感心します。
どんどんITが進化して、人間の身体能力の補助をしてくれたり、
人間ではできないようなことが実現したり。
あるいは新しいウェブサービスがじゃんじゃか出てきて、
僕たちの生活が想像もできないくらいに革新されたり、という現象が
本当にこの十年くらいで巻き起こるでしょう。
現に、タイムリーな話題で言えば、数年前では想像もできない形で
選挙が展開されていたりしますし。
自分のやっていることに置き換えてみると、
オペラや声楽の領域をITが革新することはないと思っていました。
生身の人間による表現芸術はコンピュータの介在する余地はないと。
でも、それは今までの話で、あと数年でクラシックの業界も
想像もできないような変化をむかえているかもしれませんものね。
それは決して、僕たち生身の表現者がITに食われるのではなくて、
僕たちがITを最大限に利用して表現の幅や深さがまた多様化する、ということ。
そういえば、初音ミクによるオペラがパリで上演されたりもしましたし、
革新はすでにはじまっていますね。
初音ミクによるオペラTHE ENDhttp://p.tl/JxmQ
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