奈良への旅はとうに終わり、一昨日から東京に戻ってきました。
修二会への参拝ですが、1日目2日目については、
なんとなく様子を文章にてお伝えすることができました。
けれど、3日目の夜のことについては、それがなかなか難しく感じています。
どんな行法があったのか、は簡単に書けます。
・人出の空いた10時頃二月堂へ上がり、過去帳の途中から局に入り
・2時頃お水取りを上から眺め
・4時頃の達陀をしかと見届け
・"混乱しながら"早朝の山を下りる
こんな感じ。
誠に不思議な夜でした。
お水取りは、霊水の湧く閼伽井屋よりお香水を汲み
それは本尊に供えられたり、供花に用いられたりします。
辺りは夜半を過ぎ、しんと冷え込んだ空気。
奈良の街の夜景は仄灯りで、山肌は黒に塗込められています。
そこに響く雅楽の調べ、篝火から舞う火の粉。
儀式の途中で局に入れば、中に残る練行衆が壁に背をもたれ座しています。
拝聴者もほとんど外へ出ているので、ひといきれもなく、
儀式の静けさと、お籠もりをする僧侶の身体の疲労が肌に空気を通して伝わってきます。
そこから2時間ほど行法が続きますが、その途中では
東日本大震災による被災者への追悼の文言もとなえられました。
そして、4時頃に行われるのが、達陀(だったん)。
摩訶不思議な行法でした。
8名の練行衆が達陀帽という頭飾りを被り、道場を清めます。
この達陀帽が何とも異様な風体で、暗く良くは見えなかったのですが、
金糸の細工が施されたそれは、儀式の不思議な緊張感に演出されたためか
異形のように感じられました。
そして、登廊時と同程度のお松明に、火が点されます。
狭い狭いお堂の中に上がる、大きな火。
もうもうと上がる煙。バチバチと杉の葉の爆ぜる音。
お堂のなかをぐるぐると回り、落ちる燃えカスを竹の棒で突き消す。
歩き回る僧侶たちの木沓の音。ハッタ、という掛け声。
炎の音。衣擦れ。人々の咳。格子にすがりつく拝聴者の姿。
外陣に立ち手を合わせる僧侶の影。二月堂を叩く風。
この儀式は、いったい、なんなのでしょう。
困惑の巡る脳内を持て余したまま、いつの間にか練行衆の動きは静まり、
達陀帽は解かれ、声明へと戻っていきます。
そこから半刻ほどしてその日の行法は晨朝(じんじょう)をもって終わりを迎え、
僧侶たちは二月堂を走ってあとにします。「ちょうず、ちょうず」と叫びながら。
全く以て、取り残された気分です。
体内を満たされたと同時に、全ての血液を抜き取られたかのような浮遊感。
日の出の気配はまだ少し遠く、底冷えするなかを
炎の残像をみながら宿舎へと戻りました。
その日起きて、昼過ぎには京都へ着き、
等持院、祇園の割烹、翌日には哲学の道と二年坂という行程を踏みましたが、
12日の深夜に、僕の旅は終わりを迎えていたような気がします。
いつかはこの目で見てみたいと、中学に上がる前より夢に見ていた修二会。
それを見、聴き、感じることのできたこの数日間は、
本当に感無量、一生の思い出に残る時間でありましたが、
初日二日目の感激に溢れるお松明の光景とはその手触りを全く変えて、
宇宙の彼方へと放り出されたかのような錯覚さえ覚える達陀の景色。
いつもの生活へ戻った僕の中に残っているのは、
五体投地の痛々しい木板と骨肉のぶつかる音と、もうもうと立ちこめる煙、
そしてうねる焰の残像です。
yy
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